2年連続同一カードとなった2022年の日本シリーズはオリックスが4勝2敗1分でヤクルトを退け、26年ぶりの日本一に輝いた。令和初の三冠王を獲得したヤクルトの村上宗隆は7戦で26打数4安打、打率1割9分2厘とオリックス投手陣に封じられた。
「村上ほどの打者でも短期決戦で徹底マークされると、簡単には打てない。先発投手と3、4打席対戦できるなら徐々に慣れてきますが、オリックスの中嶋聡監督は次から次へとピッチャーを代えて、その度に150キロを超える中継ぎ陣が出てくる。村上に甘い球を放らなかったオリックス投手陣を褒めるべきでしょう」(野球担当記者。以下同)
村上のスタートは悪くなかった。初戦にホームランが飛び出し、3戦目には2安打、3打点と活躍したが、4戦目から6戦目までノーヒット。7戦目の4打席目に4試合ぶりのタイムリーを放ったが、反撃は及ばなかった。
「オリックス投手陣がしつこく内角を突いてきた。いろんな配球論がありますが、ピッチングの基本は内角高めと外角低めにいかに投げ切れるか。そこにコントロール良く威力のあるボールを放れれば、そう簡単に打者は打てない。厳しいコースに質の高いボールを放り続けたオリックスの投手陣が素晴らしかった」
過去の三冠王もポストシーズンでは苦労していた。2リーグ制後、初のトリプルクラウン達成者である野村克也(南海)は1965年の日本シリーズで18打数5安打、打率2割7分8厘と数字は悪くなかったが、長打と打点は第5戦の先制2ランのみに終わり、1勝4敗で巨人に敗れた。1984年のブーマー(阪急)は日本シリーズで広島の徹底した内角攻めに苦しみ、打率2割1分4厘でホームランは1本も打てず、3勝4敗で日本一を逃した。2004年、平成唯一の三冠王である松中信彦(ダイエー)はこの年から導入されたプレーオフ制度で西武と対戦したが、5戦で19打数2安打、打率1割0分5厘、1本塁打、1打点に終わり、チームも敗退した。