ロシアのウクライナ侵攻では、プーチン政権による一方的な併合が宣言され“国境線の書き換え”が現実のものとなった。それはロシアと国境を接する国々にとっては「対岸の火事」ではない。ロシア(ソ連)との領土争いが続く北方領土周辺の海域では、戦後80年近く「国境を巡る悲劇」が起き続けている。1990年に日本人ジャーナリストとして北方領土・択捉島に初めて上陸して以来、「日本の国境」を撮り続けてきた報道写真家・山本皓一氏がレポートする。
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「本土最東端」の碑が立つ北海道根室市の納沙布岬。その約3.7キロ先に、ロシアが実効支配する歯舞群島の「貝殻島」がある。この島は「低潮高地」と呼ばれ、干潮時のみ陸地が出現する無人島だ。1937年に日本が貝殻島に建てた灯台は今にも倒れそうなほど老朽化しているが、納沙布岬から肉眼でもはっきり確認できる。
納沙布岬と貝殻島の海峡には「中間線」という名の境界線が引かれている。いくつもの赤いブイ(浮き)がそのラインを示す目印となっているが、それが現在の日本とロシアの“実質的な国境線”である。
北方領土周辺の海域はウニ、タラ、カニ、コンブなどが獲れる世界有数の漁場として知られる。だが、終戦直後に日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連による北方領土侵攻で、根室の漁師たちは生活の糧としていた広大な漁場を失った。
戦後からある時期まで、根室の漁師たちはしばしば「中間線」を突破して旧ソ連の支配海域に突入。その結果、漁船が拿捕される事件が頻発した。1956年10月15日には、根室のサメ刺し漁船「孝栄丸」が水晶島(納沙布岬から約7キロの距離にあり、ロシア国境警備隊の施設がある)近海で銃撃され、船長が死亡する事件が発生している。
「(中間線から)日本側の海だけでは仕事にならない。何とか安全に北方領土海域で操業ができないものか」──そうした地元の漁業関係者が編み出した“抜け道”が「レポ船」と呼ばれる秘密漁船だった。
旧ソ連に日本の物資や西側諸国の情報を提供する見返りに、ソ連側は「違法操業」を黙認する。また、レポ船の中にはソ連に情報を提供するだけでなく、逆にソ連の情報を日本の公安当局に提供して脱税を見逃してもらう「ダブルクロス」(二重スパイ)もあった。
冷戦時代を象徴する存在だった「レポ船」が横行したことで周辺海域での取り締まりは形骸化し、根室の漁場は潤った。「北海の大統領」「オホーツクの帝王」などと呼ばれた、数人のレポ船元締めたちが日本最東端の街で幅を利かせたのは1970年代から80年代にかけてのことである。