ISUグランプリシリーズが始まり、今年もまたフィギュアスケートの季節になった。週末ごとに日本人選手の活躍が報じられる中、プロ転向後も五輪2大会金メダリストである羽生結弦に関しての報道は絶えることがない。11月4日は横浜で「プロローグ」の幕が開く。プロ転向後初のアイスショーを前にした羽生が歩む、唯一無二の芸術性への道について、俳人で著作家の日野百草氏が綴った。
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歴史に名を残す人物は、まず「記録の人」「記憶の人」「結果の人」の3つに分かれる、もしくはこの複数を、あるいはすべてを併せ持つ。
これに「時代の人」(「時代の子」)という要素が加われば「伝説の人」になる。そして長い年月を経て「歴史の人」になる。
羽生結弦という「氷上の芸術家」がすでに「伝説の人」であることに疑いはないだろう。いま彼は、その先にある「歴史の人」への道を歩んでいる。
いよいよ羽生結弦が出演、自らプロデュースも手掛ける単独のアイスショー「プロローグ」が11月に横浜、12月に青森県の八戸市で開かれる。
他者の採点という呪縛から解き放たれた芸術家、羽生結弦。
もちろん、羽生結弦がこれまでそれを克服し続けてきたこと、これからもそうしたアスリートでもあり続けることは周知の事実である。
2014年ソチ、2018年平昌と五輪2大会連続の金メダルを成し遂げ、男子シングル初のスーパースラム(五輪、世界選手権、グランプリファイナル、四大陸、世界ジュニア、ジュニアグランプリファイナル)の達成者となった彼は間違いなく不世出のアスリートである。真の芸術には確かな基礎が必要であり、例えばパブロ・ピカソの芸術もまた、確かな写生が基礎にある。羽生結弦にも当然それがある。羽生と同じく1948年サンモリッツ、1952年オスロと2度の五輪金メダリストであるアメリカのリチャード(ディック)・バトンが「ブラボー、ハニュウ」と熱狂したのもまた必然である。
あの2022北京五輪、フリースケーティングのプログラム「天と地と」は、羽生結弦にとって絶対的次元での「芸術の完成」に向けた端緒となった。
彼は、彼自身の目指す芸術作品の完成を目指した。
もちろん結果も目指したのは当然だが、作品の完成を目指すことと採点の結果を望むこと、そのどちらが優れているとか上下の問題ではなく、羽生結弦にとって北京五輪とは、これまでのアスリート人生すべてを内包した「芸術表現」の場だった。
そして、羽生結弦という「オリンピックの子」は、オリンピックの枠には収まらなくなっていた。