2021年8月、国後島に住むロシア人男性、ワードフェニックス・ノカルド氏(当時38歳)が泳いで北海道・標津町にたどり着き、日本政府に亡命を申請した事件が話題となった。それとは逆に、北海道から北方領土に泳いで渡った日本人男性が45年前にいたことをご存じだろうか。彼にインタビューした報道写真家・山本皓一氏がレポートする。
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北方領土に泳いで渡った男の名は「網走五郎」こと渡辺尚武氏。現在79歳で、沖縄でボクシングトレーナーを務めている。
北海道出身の渡辺氏は、1963年に札幌市内の高校を卒業後、大学受験するも2度失敗。進学を諦めて上京し、多くの世界王者を輩出した協栄ジムに入門した。だが、裸眼視力が悪く、プロボクサーとなるための受験資格を満たすことができなかった。
失意の渡辺氏は“言葉の錬金術師”の異名で知られる劇作家・寺山修司氏が主宰する前衛劇団「天井桟敷」に入る。北海道にちなんだ「網走五郎」の芸名を寺山氏から授かったものの、その寺山氏と衝突して3年で退団してしまう。その後は、全国各地をアルバイトしながら旅する生活を続けていた。
1977年7月、納沙布岬に立った32歳の渡辺氏は、霧の向こうにぼんやり見える北方領土を眺め、こう思ったという。
「俺と似ている……」
社会から疎外され続けるばかりの自身の半生と、日本から切り離されたまま歳月が過ぎていく北方領土が重なって見えたのだろう。そして驚くべき行動に出る。ウエットスーツを着込んだ渡辺氏は、納沙布岬から7キロ先の水晶島を目指して泳ぎ始める。目的は、ソ連に北方領土返還を求めることだった。それは、自身の人生を取り戻すための行動でもあったという。
白昼堂々と泳ぎ始めた渡辺氏の姿は、すぐに根室航路標識事務所の職員に発見され、通報を受けた海上保安庁は巡視艇「はまなみ」を現地に急行させる。だが、渡辺氏は日本とソ連の中間線を突破し、納沙布岬から約3.7キロにある貝殻島付近で座礁したまま放置されていた日本の刺し網漁船に辿り着き、そこで休憩を始めた。
「はまなみ」はその姿を確認したものの、すでにそこはソ連が実効支配する海域のため、手出しできない。渡辺氏は持っていた日の丸の旗を振るなどのパフォーマンスを演じたが、間もなく後方からやってきたソ連の警備艇に取り押さえられ、連行されてしまう。
だが、拘束されることも最初から想定していた渡辺氏は、あらかじめ用意していた「抗議文」をソ連政府の役人に手渡した。それはこんな書き出しで始まっていた。
〈私は単身、泳いで日本からやって来た網走五郎と言う者です。年齢は三十二歳。私は貴国に亡命したくてやって来たのではありません。北方領土返還の抗議に来たのです。歯舞・色丹・国後・択捉の四島は日本固有の領土です。早急に返還して下さい〉