“タッキー”こと滝沢秀明氏がジャニーズ副社長とジャニーズアイランド社長を退任すると発表、大きな反響を呼んでいる。そんな滝沢氏にエールを送ったのが、プロレスラーの大仁田厚だ。大仁田は自身のツイッターで「#よく俺のプロレス見に来てくれた滝沢君を応援したい」とのハッシュタグを付け、「子どもころよく後楽園ホールでプロレス観戦してくれた そしてドラマでも共演したのだ」「たぶんまた自分の夢を見つけたんだろう いつまで夢を追い続けてほしい 頑張れ滝沢君『タッキー』」(原文ママ)とつぶやいた。
滝沢氏が少年時代から大のプロレスファンだったことは知られているが、それが縁で、今年10月に亡くなったプロレス界のスーパースター・アントニオ猪木と実際にリング上で戦った“世紀の一戦”については、いまやあまり語られることがない。
2000年3月11日、滝沢氏は横浜アリーナで行なわれたプロレス興行「力道山メモリアル」でリングに上がり、エキシビジョンマッチの名目で猪木と一戦を交えた。前年にテレビドラマ『魔女の条件』(TBS系)で主演を務め、すでに人気絶頂だった滝沢氏と、1998年に東京ドームで引退試合を行なって以降、リングに上がることがなかった猪木との対決はどのようにして実現したのか。プロレス通ライターが語る。
「この日は、猪木の師である力道山の功績を称える特別興行で、橋本真也、小川直也、天龍源一郎といった団体の垣根を超えたトップレスラーたちが集結しました。その目玉として企画されたのが、猪木が一日限りの復活を果たし、スーパーアイドルでプロレスファンの滝沢さんと戦うというスペシャルマッチでした。当日は一般のマスコミも多数詰め掛け、ふだんのプロレス会場には見られないタッキーファンの若い女性も殺到しました。
当時、57歳の猪木と17歳のタッキーは、年齢差が40歳もありましたが、猪木は引退後も屈強な肉体を維持し、リングに上がった時点で両者の体格差は明白。2人はジャージ姿でタッキーファンも多数詰め掛けた会場内は“余興ムード”でしたが、試合開始直後、いきなり猪木がアリキックを繰り出し、タッキーがジャンプでかわすという展開にプロレスファンは沸き立ち、タッキーファンの悲鳴が聞こえるなど場内は騒然となりました」