人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、梅毒の治療薬についてお届けする。
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以前にも取り上げた梅毒ですが、2021年の患者発生数は1999年以降で過去最多を更新し、さらに現在、21年の同時期と比べ1.7倍のペースで報告数が上がってきています。背景には、アプリやSNSでの「出会い」からの感染も指摘されています。
梅毒は患者と性交渉をした場合の感染率が約3割と高く、症状のない時期にも感染力があります。検査、治療せずに放置すれば、梅毒トレポネーマが血液に入り(第2期/3か月から3年)、3年後以降(第3期)では皮膚、骨、筋肉などに腫瘍ができ、例えば鼻骨にゴム腫ができれば鼻が欠けてしまうこともあります。
感染から10年以上(第4期)では神経梅毒となり、脳(麻痺性痴呆)、脊髄(脊髄ろう)へと進行し、命にかかわります。ですから早期検査、初期の診断、速やかな治療が肝心です。現在、梅毒の治療にはいくつかの抗菌薬が使用されますが、早期から治療をすれば後遺症が残ることも少ないとされます。
さて、この抗菌薬(抗生物質・ペニシリン)ができる前に梅毒の治療薬として広く使用されたのが「サルバルサン」という薬です。これを開発したのは北里柴三郎氏の弟子、秦佐八郎医師で、ドイツ留学時代の偉業でした。
佐八郎は1873年、島根県の現益田市に庄屋・造り酒屋の8男として生まれ、14歳で同村の医家の養子になります。貧しさ故の栄養不良、病気になれば薬もなく亡くなっていく、そんな不条理を感じて医師を目指します。岡山第三高等中学校の医学部(現岡山大学医学部)に合格、歩いて中国山脈を越え岡山に出ます。懸命に学ぶ佐八郎についたあだ名は“山の神”。試験の解答は最新論文が引用され、教授陣からは「恐るべき学生」と言われます。
そんな頃、彼は極度の倹約から脚気にかかり、身動きもできずに下宿の2階で寝ているところを水害に襲われるのです。濁流が階段を一段一段上がってくるのが見えました。このとき彼は、「もし天が自分を必要とするなら救ってくれるだろう」と思い、最上段で引いた水を見て「この救われた命を大切にして、世のために懸命に働こう」と決心しました。