ジャニーズ事務所の副社長および『ジャニーズアイランド』の社長を退任した滝沢秀明氏(40)が、新会社を設立したと報じられた。報道によると滝沢氏には有力な支援者がおり、その中にはドバイの大富豪や、その第4夫人と言われる日本人女性も含まれているという。滝沢氏は、いかにしてドバイの富豪たちと関係を構築したのか。
「滝沢さんは2017年8月にUAE(アラブ首長国連邦)親善大使に就任しました。その立場を活かし、海外志向の強い彼は、現地の人脈づくりに励みました。建設会社を経営する大富豪A氏は滝沢さんと懇意にしており、『滝沢歌舞伎』に祝花を出したこともあります。過去に滝沢さんが役員を務めていたミネラルウォーターの販売会社も、A氏がサポートしていたようです」(芸能記者)
新会社設立については滝沢氏自身がTwitterで否定するなど、ジャニーズ事務所を退任後もその動向に注目が集まる中で、“火山好き”など彼個人についても話題になっている。滝沢氏は3人きょうだいの末っ子として生まれ、幼い頃に両親が離婚。八王子の団地で育った。
「母子家庭で、極貧と言える生活でした。学校で使う鉛筆すら買えず、幼いタッキーは真冬でもタンクトップに短パンという格好でした。水で溶いた小麦粉をホットプレートで焼き、ケチャップを塗って食べたりしたそうです。
唯一のごちそうは、肉の代わりにシーチキンを詰めたギョウザ。タッキーにとっては、『ギョウザ=シーチキン』だったので、初めて普通のギョウザを食べたとき、『ツナが入っていない!』と衝撃をうけたというエピソードは有名です」(滝沢氏のことを知る芸能プロ関係者)
生活は苦しくとも、笑いの絶えない家庭だった。
「タッキーの母親は気さくな性格で、息子がジャニーズの後輩を家に連れてきたときも明るく迎えていました。特に当時、松本潤とは親しく、タッキーは『俺よりも松潤のほうがうちの母親とマメに会話してる』とツッコミを入れていました。売れるようになってからはおばあちゃんに一軒家をプレゼントしたこともあるそうです。幼少期に経験した極貧生活が彼の“出世欲”そして“冒険心”につながっているのかもしれませんね」(前出・滝沢氏のことを知る芸能プロ関係者)
家族思いの滝沢氏は、もともと家計を支えたい一心で芸能界入りした。“子どもでも働ける場所”としてジャニーズ事務所に自ら応募し、故・ジャニー喜多川氏と運命の出会いを果たした。ジャニー氏は滝沢氏に歌や踊りはもちろん、タレント育成の極意といった“帝王学”を伝えた。
ジャニー氏のノウハウを間近で学んだ滝沢氏は2018年9月、芸能活動の引退とプロデュース業への専念を発表。トップアイドルから裏方への転身を遂げた。そして、現在はジャニーズ事務所を離れ、イチからビジネスを始めようとしている──。
滝沢家では、子どもの意思を尊重する代わりに「責任は自分で取れ」という方針だったという。かつて滝沢氏は、このように回想していた。
〈おかげで、「自由にやるってことは、責任も伴う、実は厳しいことなんだ」と、自然に理解できるようになってた〉(『ザテレビジョン』2000年10月)
滝沢氏は、“第二の父”と言えるジャニー氏の教え、そして母の教えを日々噛み締めていることだろう。