炎上は誰しも避けたいだろうが、かといってクレームに過敏になりすぎるのも考えものだ。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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すでに削除されているようなのでお名前は書きませんが、数日前、ある高名な作家の「怒りのツイート」が話題になりました。原稿の中の「お転婆」という言葉について、編集者が「高齢者からクレームがくるかもしれないので平仮名にしてもいいか」と打診。作家氏は激怒し、原稿を差し止めたとか。
その後のツイート(これも削除)には、編集者から「筆者の気持ちを傷つけ云々」と謝罪があったことが書かれていました。作家氏は、そういう問題ではなく読者からクレームがくるかもしれないと恐れる姿勢に、怒りや呆れを覚えていると言っています。
メディア界が、いわゆる「差別語」や「不快語」に神経をとがらせるのは、今に始まったことではありません。もちろん、傷つく人がいる言葉や表現を避けるのは当然です。クレームを受けて、「たしかにこの表現はよくなかった」と気づくことも多いでしょう。
しかし、「クレームがくるかもしれないので」と気を回して、「これはダメ、あれもダメ」と言い始めたらキリがありません。たとえば「今日はスマホでYouTubeをダラダラ見てお酒を飲んで寝た」という毒にも薬にもならない一文でも、
「スマホがない人や視覚に障害がある人への配慮が足りない!」
「私はお酒が飲めない体質です。飲酒行為を自慢気に書くなんて神経を疑います!」
むしろ高齢女性に失礼なのでは
そんなクレーム(いちゃもん?)の可能性を想定することができます。メディアに限らず、一般企業やお役所でも、これに近い理由で「自粛」を決めてしまうケースは珍しくありません。
今回の「お転婆」にしても、高齢女性からの「活発な女性のことを『転んだ婆あ』と言うとはケシカラン! ひじょうに不愉快だ!」といったクレームを想定しているわけです。それは、むしろ高齢女性に失礼なのではないでしょうか。
「婆」という字には多様な意味があるし、そもそも「お転婆」はお婆さんが転んだ状態を指しているわけではありません。「ケシカラン!」と怒るのは、明らかに的外れでかなり頭が悪い行為です。「いや、高齢女性ならそういうクレームを入れてくるかもしれない」という心配は、高齢女性全般をかなりバカにしていると言えるでしょう。
ただ、大半の賢明で良識がある高齢女性が「お転婆」という表現を気にしないとしても、例外的な人がいないとは限りません。当事者ではなく、横から「高齢女性に謝れ!」と言ってくる人が現われるかもしれません。胸が大きい女性モデルや萌え系のイラストを使ったポスターなどが、「フェミニスト」を名乗る過激な一派に理不尽な攻撃を受けたケースを思い起こすと、行き過ぎた心配とは言い切れないのが悲しいところです。