昭和時代に登場し、長い時間を経てすっかり定着した温水洗浄便座。肛門の汚れを洗浄してくれる“文明の利器”として、一般家庭への普及率は約8割に達している。しかし、その優れモノが“ある病気”を誘因していると警告する医師たちがいるのだ。10月14日、第77回日本大腸肛門病学会で発表されたある提言が消化器外科医たちの関心を集めている。
〈温水洗浄便座を1日2回以上使用する人は肛門失禁が重症化する〉
肛門失禁(便失禁)という言葉ではピンとこないが、平たく言えば「うんこを漏らす」ということ。つまり、温水洗浄便座の使用が便漏れにつながるというのだ。
この研究の発表者である亀田総合病院消化器外科部長・角田明良医師の報告によると、2019年から今年3月までの約3年間のうち、便失禁の症状がある外来患者85人を対象に温水洗浄便座の使用をやめるように指導。使用停止前と使用をやめた4週間後の症状の重症度を比較したところ、後者は有意に低下していた。
指導を受けて温水洗浄をやめた81人のうち31人(約38%)は便失禁の症状がなくなり、それ以外の37人も重症度を表わすスコアが2分の1まで低下したという。角田医師が語る。
「この研究では温水洗浄便座の使用方法による重症度の違いも細かく調べました。具体的には『使用頻度』『水圧の強さ』『吐水(噴射口)の太さ』『洗浄時間』の4つの因子を統計学的な手法で検討。その結果、1日2回以上使用する人で便失禁が起こりやすくなっていることがわかりました。
近年、温水洗浄便座が便失禁の原因になるのではないかとの指摘が一部の医師たちからなされていましたが、それを裏付けるデータになりました」
多くの人が、「俺はうんこなんか漏らさない」──そう考えているだろう。しかし、この“シモの悩み”への注目度は近年高まり続けている。
2017年、日本大腸肛門病学会は国内初の「便失禁診療ガイドライン」を作成している。そのなかにこんな記述がある。
〈便失禁は日常生活のQOLに大きく影響する排便障害の症状であるにもかかわらず、これまで長年にわたり教科書などへの記載が極めて少なく、一般的な診療としてほとんど浸透していない領域でありました〉
相談するのが憚られる悩み事ゆえに、症状の深刻さはあまり知られていないが、便の漏れは皮膚のかゆみや痛み、腫れなどの症状にもつながるリスクがある。しばきた消化器外科・肛門クリニックの柴北宗顕院長が言う。
「私は日々多くの便失禁の患者さんを診察していますが、切羽詰まった苦しみを抱えて来院される方が非常に多い。ご年配の方だと『バス旅行に行けない』、サラリーマンの方だと『外回りの営業で必ずトイレの場所をチェックする』といった話をよく聞きます。なかには決して大げさではなく『正直、死にたい』と訴える患者さんもいらっしゃいます」
前述のガイドラインによれば、患者には高齢者が多く、65歳以上の有症率は男性で8.7%、女性で6.6%。潜在患者数は約500万人と推計されている。便失禁は決して“座視”できない症状なのだ。