10月1日に他界した不世出のプロレスラー、アントニオ猪木さん(享年79)。死後、彼の全盛期の思い出を語る関係者は多いが、無名時代を知る人は少ない。その1人が猪木さんの師・力道山の妻で未亡人となった田中敬子さん(81)だ。10月15日、ノンフィクション作家の細田昌志氏が、亡き夫の眠る東京・池上本門寺で墓参りを終えた直後の敬子さんに、猪木さんとの60年に及ぶ交流について聞いた。【全4回の第2回。第1回から読む】
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──力道山が刺された1963年12月8日の昼間も、猪木さんは自宅に呼ばれているんですよね。
「あの日は前夜に浜松で大会があって、箱根でゴルフを楽しむ予定でした。それが急遽、試合が終わってすぐ寝台車で帰京したんですよ」
──急なスケジュール変更ですね。
「というのも、高砂親方(元横綱の前田山)が来られることになってゴルフをキャンセル、早朝に帰宅して『親方が来るまで休むから』って眠ってしまった。お昼頃に高砂親方がいらして、主人も起き出したんです」
──そこからお酒が始まるんですね。
「その最中『ハワイ巡業が大成功に終わりました』って親方が報告したんです。主人がハワイのプロモーターに話を通したんですよ。そしたら主人が『親方、アゴのことをよろしく頼む』って頭を下げたんです。親方も『任せて下さい』って。実は猪木さんを2年間、高砂部屋に預ける予定だったんです」
──その噂は聞いたことがありましたが、事実だったんですか?
「事実です。『相撲部屋に入門させて身体を大きくして、土俵に上げて、力士として人気が出たところでプロレスに戻す』という計画でした。それで主人が『よーし、アゴを呼べ』って言うんですよ」
──「本人を呼べ」と。
「寮に電話をするのはいつも私の役目で『猪木さん、主人が呼んでますよ』って。猪木さんが現れたら、ジョニ黒(ジョニーウォーカー黒ラベル)のボトルを渡して一気飲みさせるんです。猪木さんはゴクゴクゴク……」
──一気飲みは恒例行事だったそうですね。
「それを見た親方が『こいついい顔してるねえ』って。そしたら主人も『そうだろう!』って自慢気に言うんです。私もその場にいましたので鮮明に憶えています」
──力道山は本当に猪木さんを力士にしようとしていたんですね。
「間違いないですね。どんな力士になったのか見たかったなあ(笑)」