一人称は「あたし」か「俺」。東京は東銀座、旧木挽町に生まれ、小学3年生の時に葛飾区金町へ。少年探偵団ごっこに化学実験に漫画にと、昔から凝り性だった少年は、中学2年で初めてギターを買い、1970年、高3の夏に、岐阜県中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加。それがプロへの道に繋がるなど、趣味が悉く仕事になる人だ。
なぎら健壱著『アロハで酒場へ なぎら式70歳から始める「年不相応」生活のススメ』(双葉社)は、街歩きや写真、自転車や絵画等々、今なお趣味には事欠かない著者が、70歳を迎えた現在の心境や初アルバム『万年床』から数えて50年に亘る来し方を、〈普段着で、しかも酒場で〉〈ただウダウダしゃべっているような文章〉で綴ってみたという最新エッセイ集。とにかく〈手は抜かず肩の力を抜く〉のが業界屈指の趣味人の仕事の流儀らしい。
『町の忘れもの』『東京酒場漂流記』等の下町探訪物や『高田渡に会いに行く』のような評伝まで、実は文筆業でも定評のあるなぎら氏。
「ただしあたしの本はマニアックな部分もあるからか、活字を読みつけない人には、少々硬すぎるらしい。まあでもそれが時代ならいいや、と思っててね。あえて今回は雑談調の軽い文体に挑戦してみたんですけど、真面目な話ほど茶化してみたり、逆にふざけたことを神妙に語ったり、元々そういうのが、好みではあります」
いつからか、〈飲めば死ぬ、飲まなくても死ぬ〉というモンゴルの諺を真に受け、酒場に通う〈根が素直なあたし〉は、本書でも酒や趣味や仕事や人生について各1章を割き、徒然なる本音を自由に綴る。
「本来なら70歳ってことで、その手の本を出しそうなもんだけど、嫌なんですよ、偉そうなのが。それはその人の考えで、人に押し付けるもんじゃないからね」
なぜ自分は酒を飲むにも酒場を好み、何を楽しみ、何をタブーとするか。また〈酔人と粋人〉の決定的な違いや、手本としたい人々。近頃の蕎麦屋は〈天抜き〉も通じないと呆れた本人が、自ら〈失態なんて茶飯事〉と恥を晒したりと、確かにエラそうな本では全くない。
例えば都内の某酒場では、カウンターに座り、生ビールを頼んだ途端、〈なんだ、言わねぇのか〉と隣の客がポツリ。そこでピンと来たなぎら氏は、〈言わないんだというのは、チンカチンカのひゃっこいルービー?〉〈言うわきゃねぇよ、そんなこと〉と諫めつつ、次の1杯では律儀に期待に応え、〈やっぱり言うんだ!〉と、その場が楽しくなることを何より優先するのである。