プロレスのリング上のみならず、アントニオ猪木さん(享年79)は最後まで病魔と熱闘を続けた。そんな猪木さんが亡くなってから2か月──猪木さんの遺骨をめぐる“場外乱闘”が始まっていた。
秋晴れの空が広がった11月24日、神奈川県横浜市にある曹洞宗の大本山・總持寺では、黒いスーツに身を包んだ屈強な男性が何十人も立ち並んでいた。その日、10月1日に他界したアントニオ猪木さんの四十九日法要が行われた。参列したのは、坂口征二(80才)や藤波辰爾(68才)を筆頭に、日本のプロレス界のスターばかり総勢55人。「燃える闘魂」の愛称で親しまれた猪木さんとの別れ──しかし、法要の場に肝心の“ご遺骨”はなかった。
「四十九日法要と同時に納骨を行うのが一般的ですが、この日は法要のみでした。その背景には、親族による遺骨をめぐる確執があるのです」(スポーツ紙記者)
猪木さんは2019年に全身の臓器に障害を引き起こす厚労省指定の難病「全身性アミロイドーシス」を発症した。
「全身の筋肉がしびれるなどして衰弱し、最後は歩くことも難しい状態でした。それでも、YouTubeなどを通じて闘病中の姿を発信し続け、人々を勇気づけました」(前出・スポーツ紙記者)
YouTubeチャンネルに、青森県十和田市にある蔦温泉を訪れる動画がアップされたのは今年5月のことだった。旅の目的は「アントニオ猪木家の墓」の建立式を執り行うこと。2019年に亡くなった妻・田鶴子さん(享年62)の遺骨を携えての長旅だった。
「蔦温泉は猪木さん夫婦が愛した思い出の場所です。懇意にしていた温泉宿のオーナーを通じて墓の建立を依頼した。墓の傍らにはふたりが子供のように大切にしていた、亡き愛犬も寄り添うように眠っています」(温泉の関係者)
青森へは、東京から車で向かった。新幹線や飛行機を使わなかったのは、点滴につながれ、横たわりながらの移動を余儀なくされたためだ。
「墓の建立式は、猪木さんが亡くなる半年前のことでした。最初は万が一のことを考えて反対した人もいましたが、猪木さんの決意は固く、周囲は意を酌んでサポート体制をつくった。皆で車椅子を担いで山道をのぼりました」(猪木家の知人)
赤いマフラーが巻かれた墓石には猪木さん直筆の「道」という文字が刻まれている。「猪木家の墓」に手を合わせに訪れるファンは絶えないが、猪木さんの遺骨は、この場所にもまた納められてはいない。
遺骨は現在、はるか海の向こうのアメリカにあるという。