〈わからない〉〈人を殺す気持ちが〉〈まして我が子を手にかけるなんて〉──。そうした惨く、理不尽な事件に対して抱く戸惑いや「どうして?」を、作家・柚月裕子氏はけっしてそのままにしない。徒に怖れ、異物として排除するのでもなく、小説に描くのである。
ほぼ1年ぶりの新作長編『教誨』の主人公は、互いの祖父が兄弟である〈三原響子〉の身元引受人に、母〈静江〉共々指名された〈吉沢香純〉33歳。香純が幼い頃、青森の本家で会ったきりの響子は、10年前に8歳の娘〈愛理〉と近所に住む〈栞ちゃん〉5歳を殺害した容疑で逮捕され、控訴を拒んだことで死刑が確定。東京拘置所に身柄を送致されていた。
そして香純が刑の執行後、遺骨を引き取りに行く場面から本作は始まり、以降は青森を訪れ、事件について自ら調べ始めた香純の語りと、執行を粛々と待つ響子自身の回想とが交互に並走。しかしあの時、なぜ愛娘を手にかけたのかは、当人にすらわかり得ないのである。
舞台は青森県〈相野町〉。まずは岩木山を水源とする〈白比女川〉で橋から落ちたらしい愛理ちゃんの溺死体が、翌月には絞殺された栞ちゃんの遺体が発見され、初動を誤った警察や報道の異様な過熱ぶりは、かつてあった連続児童殺害事件を彷彿とさせる。
「今作では過去に実際に起きた事件の資料もかなり読みましたし、北東北を取材で回る間、死刑判決を下す基準にもなっている殺人犯・永山則夫の実家跡に立ち寄ったりもしました。私はなぜか昔から彼の存在が気になっていて、土地が持つ貧困の歴史であるとか独特の空気感がそうさせる面もあると思うんです。
私も東北出身でかつ地元を持たない元転校族なので、身内意識が強く、地元の人間ほど守られる半面、言いたいことも言えなかったりする感じは分かる。その点は良し悪しですが、やっぱり人間、生まれ落ちる場所を選べないことから、世の中の不条理や不平等は始まっているんだなという、私自身の作家的問題意識と繋がる感じもあるので」
仕事にも恋にも特に熱中することなく、次の職場に移るまでの有給消化期間に執行の連絡を受け、今は亡き響子の母〈千枝子〉から後のことを頼まれた母の代理で東京拘置所を訪れた香純は、いわば巻き込まれ型の探偵役。そんな素人探偵を突き動かしたのは、9歳の時、本家の庭で蛙をつつく自分を〈いじめないで〉と諫めた15歳の響子の姿と報道された鬼母像との乖離、そして遺品の日記に毎日記された〈約束は守ります〉という言葉だった。
刑に立ち会った刑務官によれば、響子の最期の言葉も〈約束は守ったよ、褒めて〉だったといい、彼女はなぜ罪を犯し、何を約束したのか、香純は納骨を拒む本家の説得も兼ねて相野町を訪れ、響子の本当の姿を知ろうとするのだ。
「ここまでフツウの人間を探偵役にしたのは、たぶん初めてだと思います。私としては響子の心理を主に描き込みたかったので、探偵役を控えめにしたのと、表面的な情報をただ鵜呑みにしてきた人が彼女を直接知る人間に話を聞き、その過酷な生い立ちに触れた時、何を思うかを書いてみたかったんですね。ただ香純には何の権限も経験もないので、現地では津軽日報社の記者〈樋口〉に協力してもらいました」