勝てばグループリーグ突破というスペインとの大一番で、初戦のドイツ戦に続いて堂安律(24、独フライブルク)がゴールネットを揺らした。ドイツ戦では後半に途中出場して同点ゴールを決め、スペイン戦でも後半からピッチに入ると同点弾が飛び出した。「(ドイツ戦を)奇跡でなく、必然だったと思わせたい」という宣言をしたうえで結果を出した堂安には、地元の兵庫・尼崎でも「地元の宝や」と称賛の声が相次いでいる。
ドイツ戦に続きスペイン戦でも、堂安の値千金の同点ゴールに続く逆転弾が決まり、日本代表は「死の組」を2勝1敗で勝ち上がった。その快挙が世界中から驚きをもって受け止められている。ゴールを決められなかったコスタリカ戦から一転、再びヒーローとなった堂安の出身地は兵庫県尼崎市。地元の小学校、中学校に通いながらガンバ大阪ジュニアユース、ガンバ大阪ユースでプレーし、高校2年にしてガンバ大阪でプロデビューしている。
「小学4年でセレッソ大阪のジュニアユースの入団選考に漏れ、その時の悔しさがその後のバネになった。3兄弟の末っ子で、J3のAC長野パルセイロでプレーした元Jリーガーの兄・優さんと一緒に尼崎市内のショッピングセンターの屋上のフットサルコートでサッカー教室を開いている。堂安は地元エリアの児童養護施設にサッカー用品や遊び道具を寄付する活動を続けており、尼崎ではヒーローです」(地元記者)
堂安の実家は阪神電鉄沿線にあり、子供の頃に家族で買い物や食事に出かけたのは阪神尼崎駅前の尼崎中央商店街(一番街~五番街)だった。スペイン戦当日に阪神尼崎駅前で道行く人に話を聞くと、満面の笑みでのコメントが相次いだ。
「堂安? ようやった。尼崎の宝や」(70代男性)
「尼崎の誇りやわ。地元出身の選手が活躍することで勇気がもらえる」(50代女性)
同商店街は毎年、プロ野球が開幕すると同時に「日本一早いタイガース優勝マジック」を点灯させることで知られている。これはW杯でも大盛り上がりかと思って覗いてみると、プロ野球シーズン中に掲げられる〈めざせ!てっぺん 優勝祈願〉といった垂れ幕はなく、“優勝マジック”の掲示される〈めでタイガー〉のボードは数字がない状態でレールを行き来していた。〈堂安律〉や〈W杯〉といった文字は見当たらない。
尼崎中央三丁目商店街振興組合の寺井利一理事長に聞いてみた。
「堂安選手が家族で来られていたことは知っているし、いまでもご両親の顔は見ます。地元出身の選手が活躍するのは誇りだし、個人的には応援しています。ただ、商店街を挙げてサッカーW杯関連の記念セールとかはなかなかできないんです。応援セールには準備期間が必要で、短期間の大会だとどんな結果になるか予想もつかない。
きちんと応援するには、準備期間と資金、それに情熱も必要なんです。阪神のように半年以上かけてペナントレースを戦うのではなく、サッカーW杯は一戦一戦の勝ち負けで一喜一憂する。ドイツ戦に勝利した後のコスタリカ戦で負けた時の国民の“手のひら返し”を見ていても、組合費を使ってのイベントはなかなか厳しい」