NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が最終回を間近に控え、血みどろの権力闘争を激化させている。脚本を務めた三谷幸喜は、執筆にあたってヤクザ映画『仁義なき戦い』を参考にしたと明かしているが、暴力団に精通するフリーライターの鈴木智彦氏は、両作には共通した「革新性」があると指摘する。
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鎌倉幕府は御家人たちの利益共同体だった。御家人である武士たちは私的な暴力集団だ。欲望を実現する手段は暴力で、己の利益を第一に考え、忠義や奉公というしゃらくさい美徳には目もくれない。金(所領)くれる人がいい人、いい支配者であり、どこまでもリアリスト目線を崩さない。「いいもんを食って、いい車に乗って、いい女を抱く」ために渡世入りするヤクザと似ている。毎回、利益を天秤にかけて付き従う側を決定するので、容易に今日の味方が明日の敵に反転する。親族さえも信用できず、親子・兄弟でも殺し合う。
血みどろの暴力闘争での勝者がトップになって実権を握るので、成立した組織は暴力によってのみ担保され、恐怖で支配される。暴対法を適用すれば、まず間違いなく特別危険指定暴力団になる過激さだ。
人間の集団としては粗野でシンプルだが、そのぶん、ドラマ性は高い。御家人たちは虎視眈々と一発逆転の機会をうかがっている。謀反の緊張感が常に漂っており、強ければ誰にもチャンスが訪れる。面従腹背で権謀術数を練り、派閥闘争に持ち込んで謀略を駆使し、いざとなれば仲間すら誅殺する。裏切りは悪徳ではなく、順位逆転の正当な権利なのだ。迂闊にも他人を信じた善人が悲劇の中で刺され、斬られ、悶死する。殺しという極限状態に、人間そのものが垣間見える。
笠原和夫が脚本を書いた『仁義なき戦い』は、それまでの道徳的任侠映画とは違い、裏切りのドラマを作り上げた。東映任侠路線のプロデューサーだった故・俊藤浩滋氏は実話路線を苦々しく思っていたようで、かつて私が所属していたヤクザ専門誌『実話時代』でちくりと皮肉を述べている。
「我々が作ってきた映画っていうのは、反体制視点でね。世のため、人のためにやろうっていう男らしい男を描いてきたわけでしょ。ところが実録というのは実際問題として(そういうものが)ないですよ」(1994年5月号)