1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏が、2022年3月に52歳の新人調教師として再スタートした。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、桜花賞の行方を占う阪神ジュベナイルフィリーズ(阪神JF)についてお届けする。
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桜花賞への道が見えるかどうかというレースです。早い時期にデビューして勝ち上がり、競馬場(阪神)も距離(1600m)も同じこのレースで手応えを掴めば、それが桜花賞に直結する可能性が高い。
桜花賞は牝馬にとって特別なレースですが、僕が1987年にジョッキーになってからはずっと関西馬が勝っていました。出ているのは「関西の若い女の子」というイメージがあって、関東馬は出走するのも大変だなあと思っていました。1999年にウメノファイバーでオークスを勝ちましたが、桜花賞に出走した時点では重賞を2つ勝っていたのに8番人気で6着でした。
それ以外でも関西馬に乗ることの方が多かった。2004年に2着になったアズマサンダースも関西の藤岡厩舎の馬でした。この年は藤沢和雄厩舎のダンスインザムードが関東馬として18年ぶりに勝ちましたが、自分の中ではまだ遠い存在に感じたものです。
2007年の阪神ジュベナイルフィリーズで17着だったエフティマイアが桜花賞で2着になりました。彼女にはデビューからずっと騎乗していたので、やはり2歳時の経験が生きていたのだと思いました。
だから2009年にアパパネでこのレースを勝った時、これでようやく桜花賞を勝てるチャンスが来たな、と。それからは本当にやりがいのある日々でした。厩舎スタッフと一丸になって「なんとかそこに持って行こう」という共通意識がありました。
僕はアパパネのお母さんのソルティビッドでもこのレースに出ています。ダートの1000m、芝1200mのオープンで逃げ切り勝ちしたように、とにかく速い馬でした。前半はいい位置につけられて直線半ばまでは頑張ってくれたのですが、やはり距離が長かった。このレースの後、1200mのオープンを勝っています。アパパネはその子にしては長い距離を使いましたが、やはりスピードもあって「ああ、あのお母さんだからこういう子が出るのか」と納得したものです。