2010年に第1回が開催された「国民的美魔女コンテスト」は、日本の「美魔女」という概念を浸透させ、現在まで注目を集めてきた。今年から「美魔女コンテストTOKYO」と名称を変えた同大会で、ファイナリスト9人の中からグランプリに輝いたのは、最年長の木曽千草さん(54)だった。煌びやかなティアラを頭上に乗せた木曽さんはこの日何度目かの涙を落とした。
「ほんとに私なのかな、って今でも信じられない思いでいっぱいです。泣いてばかりですみません」
愛媛県松山市在住の木曽さんは、母校である県立松山商業の7代目同窓会長を務め、愛媛県さくらひめ(県のブランド花)大使、愛媛シルク大使という地元特産物のPR役も担っている。
「普段私は、人材育成の仕事をしていて、誰かの役に立つということを生きがいにしてきました。昔から社会活動には積極的に参加していて、経歴を書き出すとA4の紙1枚分ぐらいになります(笑)」
コンテストに臨むにあたり、目標はグランプリに輝くことではなかった。
「グランプリを目指す過程の中で自分の限界を打破しながら、女性としてもっと輝きたいという一心でした」
30代で離婚を経験し、40代では更年期障害に加え、息子さんの不登校に悩む時期もあった。
「30代は子育てと会社経営に追われて、とにかく“走る走る走る”毎日だった。あまり記憶がありません。40代になって、精神的なしんどさに襲われ、何事もネガティブな思考になってしまった。疲れが顔に表われて、内面と外見は関連するんだなと痛感しました。それを乗り越えられたのも、私を必要としてくださる方々がいたから」
最後に訊ねた。若さの秘訣とは──。
「常に好奇心を持つこと。それと、利害関係のない方とのお付き合いも大事にすること。それによって、毎日新しい刺激があり、自分の強みが発見できます」
愛媛のPR大使から、日本が誇る美魔女へ輝きを増した彼女のシンデレラストーリーを目の当たりにした。
撮影/藤岡雅樹 取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2022年12月23日号