国内外を問わず、旅をし続けてきた作家・伊集院静さんは、旅先から持ち帰った品々を愛情を込めて「ガラクタ」と呼ぶ。伊集院さんに、その“小さな宝物”たちへの思いを聞いた。
「ガラクタって、いらないものみたいに見える言葉ですけど、漢字を当てると『我楽多』で、自分が楽しむ愛しいもの、の意味になります。今年出した小説『ミチクサ先生』の中で、少年時代の夏目漱石が陰でガラクタ呼ばわりされて、母親が『気にすることなんかないよ』と取りなす場面を書いています。小説のタイトルに使おうと思っていた大事な言葉でもあるんです」
そう語る伊集院さんは、全日空の機内誌「翼の王国」に「旅行鞄のガラクタ」を連載してきた。旅先から持ち帰った小さなものをめぐる旅の記憶をつづるエッセイだ。伊集院さんの前には、グラフィックデザイナーの長友啓典さんが「おいしい手土産」を連載していた。盟友だった長友さんが急逝し、その跡を引き継いだかたちだ。
「長友さんはぼくの仲人でもあります。お仲人さんが非常に大事にしていたページということで、お仲人さんが『手土産』だったから、ぼくは『ガラクタ』ぐらいがいいんじゃないかな、と決めました」
今回、その連載をまとめたエッセイ集『旅行鞄のガラクタ』の刊行を記念して、東京・神保町の小学館ビル1階ロビーで「ガラクタ」の実物を一部展示したイベントも開催されている。並んでいるのは、ニューヨークのヤンキースタジアムで急に雨に降られて買ったレインコートや、中国・重慶の川原に転がっていた石、スペインの歓喜の丘で拾ったマツカサなどだ。
一年の半分近くを旅に出ていたこともある伊集院さんだが、お土産は買わないそうだ。
「お土産を買うとね、家族が次は何を買ってくるかしらって期待してしまうから、買っちゃだめなんだよ(笑)」
最初に旅先から持ち帰ったものは、画家ジョアン・ミロが少年時代を過ごしたスペイン・モンロッチの農園に落ちていたエンドウ豆のさやだった。
「ミロのアトリエのそばに大きい豆の木があって、そばに落ちていた豆です。まだ青かったけど、ヨーロッパを回っているうちにだんだん黒くなってきて。検疫の関係で、植物を持ち帰ることはできないから、定宿のホテルにしばらく置いておいたんです。そうしたら段々黒くなってつやが出て、これはいいなと思ったので仙台の自宅に持ち帰りました」
深いしわの寄ったエンドウ豆は黒光りして、アーティストが切り出したオブジェのよう。
エンドウの木は少年時代からミロにとって特別なもので、「創造の宇宙への梯子」だったと本人が述懐している。『農園』という作品にも描かれ、しかもこの絵を買ったのが、若き日のヘミングウェイ、というところまで伊集院さんの文章は広がっていく。