「不惑」を過ぎ、孔子が自らの宿命を悟ったと表現した「知命」を迎える2人が緊急対談。仏教で最も苛烈な修行を満行した光永圓道大阿闍梨(47)とDAIGO(44)が「人生」について語り合う。
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DAIGO:今回、阿闍梨さんの『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』、本当に勉強になりました。家の掃除、心の掃除は、本当に大事。結婚してなかったら、ここまで強く共感はできなかったと思います。
光永師:ありがとうございます。
DAIGO:ぼくはこれまでの人生、結婚するまでは「いかに掃除せずに逃げ切るか」をテーマに生きてきました。かなり恥ずかしい話なんですけど。
光永師:自分で掃除をしなくても、どなたかが整えてくださったのですね。
DAIGO:だから結婚した直後は、家のことはなにもやっていなくて。いつだったかな、ある日、妻が仕事に出ているときに、居間のソファに座っていたんです。こう、足を組んで、背筋を伸ばして、カッコつけて、ひとりで。
光永師:ほかに誰が見ているわけでもないのに(笑い)。
DAIGO:そうなんです! でも、突然、「なにやってんだろ。妻が帰ってくるまでに、ぼくが掃除すればいいんだ」と思って。
光永師:最初はやり方もわからないでしょうし、ストレスになりませんでしたか。
DAIGO:いきなり壁にぶちあたりました。掃除機のヘッドって、動かすときにちょっと曲がったら、もうその部分はきれいになってないじゃないですか。だから、部屋の角とか隅が難しい。きっちり見ないと。
光永師:比叡山延暦寺を開いた伝教大師さま(最澄)が、同じことをおっしゃっています。「一隅を照らす」。家庭でも仕事でも、人間関係でも、華やかな舞台の上にばかり注目するのではなく、縁の下の力持ちを讃えましょう。隅々にまで、意識を向けられる人を目指しましょう、といった意味合いです。
DAIGO:白い足袋の汚れは、先に石鹸で手洗いすると本に書いてらっしゃいましたが、ぼくも洗面所で娘の服の染み抜きをやるようになりました。あと、風呂掃除も。なんか自分でアピールした感じですけど、ちゃんと一隅を照らせていますでしょうか。
光永師:はい、見事に。