マスクを外して注意した理由
ベンチに戻った山口に、鍛治舎監督はマスクを外して厳しく叱咤した。その様子はテレビの中継にも映し出され、コロナ禍にノーマスクで会話する鍛治舎監督には批判も集まった。マスク越しでは、対話者の口の動きで言葉を理解する山口には指揮官の真意が伝わらない。口話のために、鍛治舎監督は自らのマスクをあえて外したのだ。
山口にとって失意の夏からおよそ半年。昨秋の岐阜大会は準々決勝で敗退し、選抜の出場が絶たれている県岐商を改めて訪ねようと思ったのは、京都国際の小牧憲継監督の一言があったからだ。
「秋に練習試合をやった時に、鍛治舎監督が手話を用いてエース格の山口君と意思疎通をはかっていた。(県立岐阜商業から早稲田大、松下電器と進んだ)アマチュア野球のエリートで、あれほどの大監督が選手に寄り添う姿は、あまり知られていない鍛治舎監督の一面ではないでしょうか」(小牧監督)
NHKの甲子園中継の解説をしていた頃の温和な印象とは異なり、2014年から熊本の秀岳館、そして2018年からは母校である県岐商を率いる鍛治舎監督は、練習試合のみならず甲子園のベンチにいても大声で選手を怒鳴りつけ、不甲斐ない投球をした投手や、ミスの続いた選手は容赦なく交代を命じる。
そうしたやり方に否定的な意見を持つ野球人は多い。だが、鍛治舎監督ほど、選手の成長を信じ、50歳以上も離れた高校球児と真剣に対峙する監督もいない。そんな監督が齢71にして手話を覚え始めたというのだ。
鍛治舎監督が話す。
「最初に覚えた手話は、『大丈夫か?』と『君、すごいな』のふたつでした。ただ、現在はそこまで手話は必要ないんです。というのも、こちらが口を大きく開けて話せば、口の動きで山口も理解できます。彼が発する言葉も、入部当初からしたらずいんぶんと分かるようになってきた。聾学校時代は、同じような境遇の生徒ばかりなので、声を出して話す必要がない。相手が健常者だと、必死に、自ら発する言葉で理解してもらおうとする。入部から1年で驚くほど彼の言葉も成長しました。卒業後のことを考えれば、手話で会話するよりも、山口が健常者と当たり前のように会話ができるようになったほうがいいにきまっています」