熊本・秀岳館時代に甲子園で3季連続のベスト4進出を果たし、現在は母校の県立岐阜商業で指揮を執る名将・鍛治舎巧監督。今、ひとりの球児のために新たなコミュニケーションの方法を身につけたのだという。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。【前後編の前編。後編を読む】
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2年前の夏、県立岐阜商業(県岐商)が全国高等学校野球選手権大会の1回戦で高知・明徳義塾に敗れた翌日のこと──。帰郷後すぐに新チームを始動していた同校のグラウンドで鍛治舎巧監督に紹介されたのが、三塁の守備に就いてノックを受けていた1年生の山口恵悟だった。
3歳の時に先天性難聴が発覚し、両耳が聞こえないというハンデを背負う山口は、中学時代まで県立岐阜聾(ろう)学校で過ごしたという。鍛治舎監督は言った。
「初めて会ったのは彼が中学1年生の時。所属していた岐阜中濃ボーイズの代表と話をしていて、『こういうハンデを持つ子が、レベルの高い学校で野球を続けることは難しいでしょうか』と相談されたんです。その時は、『考えてみましょう』とだけ伝え、学校で校長に相談した。すると偶然にも校長が聾学校の校長と親しく、また教育委員会ともかけあってくれたんです。そして、山口も一生懸命勉強を始めて、簿記も頑張っていた。それで入学が決まりました。まだ1年生ですがピッチャーとしても既に、140キロを超えている。いずれメンバーに入ってくるでしょう」
聾唖(ろうあ)の投手が伝統公立校の一員として甲子園のマウンドに立つ──もし実現したならば、春夏の甲子園を主催する朝日新聞や毎日新聞が飛びつくような話題と思ったものだ。
それから1年後の昨年(2022年)夏、山口は思わぬ形で聖地のマウンドを踏むことになる。組み合わせ抽選会の翌日、チーム内で新型コロナウイルスのクラスターが発生し、エースと正捕手を含む10人が登録を外れる緊急事態が襲った。出場辞退も考えられたなか、社高校(兵庫)戦の先発に指名されたのが山口だった。
だが、山口にとって甲子園デビューはほろ苦い経験となった。先頭打者に四球を与え、先制を許すと、2回にも3失点してイニングの途中に降板。チームは1対10と大敗した。
「投げるボールはアウトコースばかりで、相手バッターの懐を攻めていけない。そんな弱気なピッチングでは甲子園で勝てません。彼自身の糧とするためにも、交代後、すぐに伝えなければならないと思いました」