20年以上所属していた事務所を昨年末で退社し、独立したことが明らかになった俳優の堺雅人(49才)。その堺を高校時代から知る恩師が語るエールと秘話とは――。
「大丈夫。今までと何も変わらないから」
独立報道について心配して電話をかけると堺はそう答えたという。そんな様子を明かしたのは、堺に演技指導をした恩師でもある宮崎県在住の女優・濱崎けい子氏だ。
堺は地元・宮崎県屈指の進学校・宮崎南高校に進学して演劇部入り。高校1年の夏には、県主催の1泊2日の演劇集会に参加。そのとき、講師を務めたのが濱崎氏だった。
「クラスは70人くらいいて。東京大空襲や原爆など戦争をテーマにした群読劇をやろうとしたのですが、役の立候補者を募ると毎回誰よりも先に“はい! ぼくやります!”と手を挙げるのが堺くんでした。またあるとき、誰も手を挙げないことがあって“演劇部なのにあなたたち…やる人いないの?”と言うと“はい! ぼくやります!”と。積極的な姿がよく印象に残っています」(濱崎氏・以下同)
堺が高校3年生のとき、演劇部で上演したときに足を運んだ濱崎氏。堺が座長を務めたその公演で上演したのはつかこうへい氏の名作『飛龍伝』だった。1960年代の安保闘争を描いた硬派な作品を高校生が上演したことに濱崎氏も驚いたと語る。
「2メートルくらいの大きな盾を持って、狭い体育館の舞台でやるわけですよ。夏だからお客さんも汗ダラダラ。やっている子たちも、もうすごい汗で…。すごい舞台をやるなという感じだったんですね。みんな堺くんのやる気や彼の世界観に引っ張られていた印象です。彼は当時から、演劇への情熱とセンスがほかの人より抜けていた」
堺はその後、早稲田大学第一文学部に進学。演劇研究会に入り、劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加した。数々の舞台に主演し、「早稲田のプリンス」と呼ばれ、おっかけのファンが付くほど人気を集めた。その活躍ぶりは、宮崎で活動する濱崎氏の耳にもはいった。
「『東京オレンジ』の主宰者のかたに連絡したら、小一時間後に“堺です!”と電話がありました。それから、堺くんが出る舞台を見に行くようになって終わったら飲みに行くという感じで会うようになりました」
そんな交流のなかで、宮崎で舞台をやるという話が持ち上がった。濱崎氏の劇団が20周年を迎えることになり、堺に声をかけたのだ。