芝居小屋のすぐそばで起きた雪夜の血まみれの惨劇。その驚愕の真相とは──。注目の歴史・時代小説家、永井紗耶子氏に最新作『木挽町のあだ討ち』について話を聞いた。
〈あれは忘れもしない二年前の睦月の晦日。雪の降る晩のことでございます〉
まずは江戸三座の一つ、木挽町森田座で木戸芸者を務める〈一八〉が、文化12年1月、〈伊納清左衛門が一子、菊之助〉が同座の裏で父の仇と相対し、その首を見事刎ねてみせた一件を滔々と語り始める第一幕〈芝居茶屋の場〉から、『木挽町のあだ討ち』は文字通りの幕を開ける。
〈仇討物語は数多かれど、まことその目にしたという人はさほど多くはございますまい〉とあるが、第二幕以降も語り手を務めるのは、元武士の立師〈与三郎〉に女形兼衣装係〈芳澤ほたる〉、小道具の〈阿吽の久蔵〉とお内儀の〈お与根〉など、「あの仇討ちを見たかって。ええ、見ましたよ」という目撃者ばかり。
そして彼らを順に訪ね回るその若侍が何やら菊之助の縁者らしいことだけを知らされたまま、読者は計6段分の目撃譚をその名調子につられて読み進めてしまうという、実はこう見えて驚愕必至、してやられること必至の、企まれし時代小説なのだ。
元々沼にはハマりやすい体質だった。初めて歌舞伎を観たのは小2の時。以来、大叔母の薫陶を受けた著者は大の芝居好きへと成長し、新劇に落語にと、時間さえ許せば何でも観に行った。
「確か最初に連れて行かれたのが先代の市川猿之助さんの『ヤマトタケル』でした。何の知識もなしに号泣する私に、大叔母は『この子はハマるな』と同じ匂いを嗅ぎ取ったんでしょうね(笑)。落語も今だとサブスクで聞いたりして、定期的にハマるんです。ちょうどこれを書いたのがそのハマり期間中で、私は落語の『中村仲蔵』も好きだし、この一人称の語り口は絶対イケるなって、何より自分が思い込んじゃったんです」(永井氏、以下同)
そう。その口上の巧拙が客入りをも左右する一八に、元武士だけにお堅い与三郎。それとは対照的なほたるとお与根の喋りに、元旗本の次男坊で、劇評家や落語家の顔も持つ〈筋書の金治〉まで、本書では話者各々の来歴についても若侍が取材。その波乱の人生や理不尽な社会の有様にこそ、むしろ著者は描写の多くを割く。
「仇討物なのに、ですよね(笑)。あれは私が大学を出た頃。まだ勘九郎だった勘三郎さんの『野田版 研辰の討たれ』(2001年)を立見席で観たんです。迷彩柄の袴を着た勘三郎さんが赤穂を讃える人達を批判したり、古典的な仇討物に現代的な諷刺を取り入れた作品で、ああいう話を自分でも作りたくなっちゃった。
今作に出てくるのはみな、世間でいう落伍者ばかりで、一見芝居周りのお仕事小説風に見せつつ、彼らがなぜ芝居小屋という〈悪所〉に集い、どんな痛みや苦渋を抱えて生きてきたのかを、当時の空気感や社会構造と併せて描いてみたかった。加えて私なりの仇討の解釈というか、違和感ですね。仇とはいえ人殺しを肯定し、吉原を単なる夢の国として描くのは、現代の感覚ではやっぱり抵抗があるので。
もちろん時代性はあるでしょう。でも昔の人だって斬られたら痛いし傷つくし、人としてはそう変わらないはずで、そうした違和感や歌舞伎愛や落語愛も全部ミックスして出てきたのが、この小説だったんです」
例えば一八である。母は中店の女郎で、彼は母や彼女が惚れた男の暴力に晒されて育つが、そもそも吉原には男の仕事がない。やむなく幇間の弟子に入るが、母の死後はまるで身が入らず、ある時、遊女を面白半分に凌辱する客に盾突き座敷をしくじった彼は、師匠にこう引導を渡される。〈吉原から離れな〉〈本音じゃあ女郎を買いに来る男が嫌いだろう〉。図星だった。
そして食べるにも事欠く中、元旦那衆と偶然再会し、弁当目当てに森田座で芝居を観たことが転機となった。〈ああ。こんな世界があるのか〉〈客に夢を見せるためだけど誰より手前が楽しんでいる。それがいい〉と、その場で口真似を披露した彼に看板役者の尾上栄三郎が驚き、〈お前さん、木戸に立ってみる気はねえかい〉とスカウトされるのである。