プロ野球の南海などで活躍し、1988年には40歳で本塁打王、打点王の二冠王に輝いて「不惑の大砲」と呼ばれた門田博光。74歳での訃報に、各方面から追悼のコメントが次々と寄せられるとともに、現役時代の様々なエピソードにも再びスポットライトが当たっている。
改めて注目を集めているのが、1980年12月13日に在阪スポーツ紙が一面で報じた「阪神・掛布雅之とのトレード話」だ。
トレードで放出された三代目ミスタータイガースの田淵幸一の後継者として前年の1979年にチーム新記録となる48本で本塁打王に輝いた掛布だったが、この年は開幕直後のケガがあり成績が大幅に下がっていた。大物内野手の岡田彰布が入団してきたこともあり、掛布がトレード候補だとする報道が浮上したわけだ。掛布はプロ7年目、25歳だった。
そのトレード相手として報じられたのが南海の主砲・門田だった。前年の春季キャンプでアキレス腱を断裂したが、1980年は41本の本塁打を放ちカムバック賞を受賞している。阪神からは1975年オフに江夏豊が南海へ、1978年オフに田淵幸一が西武へとトレードで放出されており、この時の「掛布-門田トレード」も阪神ファンの間ではかなり信憑性の高い記事と受け止められていた。
結局、記事が出た直後から両球団が否定し、記事のシナリオが現実にものになることはなかった。ただ、2019年の取材で門田は当時を振り返って「トレードは本当に進められていた話なのだと思います」と話していた。
「阪神の球団事務所に抗議が殺到したために話は流れたそうですが、実際にトレードの話はあったのでしょう。ただ、正式に話がきたとしても、ボクがペケを出していた(断わってた)可能性は高いですね。阪神の場合は周りが踊れ踊れと持ち上げますから……。ボクの性格だと南海で野球やるのも、阪神でやるのも変わらない気もしますが、阪神のようなチームへの移籍で自分を見失ってしまうとか、マスコミにやられてしまう可能性はある。(マスコミが)あまり頑張ってないのに、頑張っているように書いてくれると、それに踊らされて、(南海でやっていたような)体をいじめ抜くような練習量はこなさなくなっていたかもしれない。そういうことは当時も考えましたね」