NHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公である徳川家康(松本潤)には正室・側室あわせて約20人の妻がいたとされる。その数は、天下人だけに戦国時代でも多いほうだったという。直木賞作家で、長編歴史小説『家康』シリーズを執筆中の小説家・安部龍太郎氏に、家康と女性たちの注目ポイントを尋ねた。(人物名の後のカッコ内は『どうする家康』でその役を演じる俳優の名前)
【1】根底にあった「母恋し」「おばあちゃん子」
生母・於大の方(松嶋菜々子)は家康が2歳のときに離縁され、再会したのは17年後だった。
「母を知らずに育ったがゆえの母恋しの情──女性に対する家康の思いの根底にあるのはこれです」(以下、「」内の発言はすべて安部氏)
その間の母性の空白を埋めたのは、家康が今川家の人質になったときに世話役を買って出た母方の祖母・源応院だ(大河では未登場)。求められて生涯に5回も結婚し、そのたびに子供をもうけた。
「源応院は大変な美女で傑物。彼女が家康を優しく包み、励ましました。そのことで、母性への憧れに拍車がかかったと思います。
一方、於大の方は“スパルタ教育ママ”。彼女も再婚して6人の子供を産み育てた強い女性で、家康を突き放し、強くなるよう求めました。関ヶ原の後まで生きて、家康の重要な政治的決断に影響を与えたこともあります」
【2】運の正室・瀬名の「最期」をどう描くか?
家康は16歳で今川義元の姪・瀬名(有村架純)を最初の正室として迎えた。今川は東海一の大大名で、家康の松平家は西三河の弱小大名だった。
「瀬名は美貌と教養があり、妻にしたいと思う若い武将はたくさんいたはず。そのなかで義元に気に入られた家康が選ばれ、子供も持てた。家康にとっては大抜擢だったと言えます」
桶狭間の戦いを経て今川から独立した家康は岡崎に入り、織田信長と同盟を結ぶ。大河ではこれから、駿府に残した瀬名と子供の行く末が描かれる──。
その後、歴史的には天正7年(1579年)、家康が信長の不信と怒りを買い、瀬名は処刑され、子・信康は自害したとされる。
「家康は悲しみと罪悪感を抱えて生きていくことになりました。大河では有村架純さんが演じているので、瀬名の最期を悲劇的に描くのか注目しています」