「炎上」がそこかしこで勃発する今日、コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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ネットでテレビで新聞で、今日もさまざまなニュースが流れています。私たちは、なぜニュースを見るのか。その理由は人によって、またニュースや日によって違います。
世の中の動きを知りたい、事件や事故から何がしかの教訓を得たい、人間や社会について考えるきっかけにしたい、ほのぼのした出来事であたたかい気持ちになりたい……。こうしたプラスの方向で活用されたら、ニュースとしてもたぶん本望でしょう。
いっぽう、マイナスの方向で活用されるケースも多々あります。「悪者」のレッテルを貼られた相手に罵詈雑言をぶつけて日頃のうっぷんを晴らしたい、お手軽に「正義の味方」になった気になって選民意識を浸りたい……。残念な活用法ですが、本人は気持ちよさを味わうのに忙しくて、自分のやっていることの不毛さを自覚していません。
そんなマイナスのニーズをたっぷり満たしてくれたのが、一連の回転寿司の迷惑動画騒動、通称「回転寿司テロ」です。わかりやすい「愚行」を動画で目の当たりにして感情を刺激されたり、大勢で声をそろえて非難する高揚感を味わえたりするせいか、ニュースをマイナスの方向で活用したい人たちが大量に群がりました。
遠慮なく「袋叩き」にしてもよさそうな対象が登場すると、まるでお約束のように行われるのが、本人の住所氏名や在籍している学校名、親の勤務先などを「さらす」という行為。その情報が正しいとは限らないのに、脊髄反射でおせっかいな「正義感」にかられた人が、学校などに抗議の迷惑電話をかけたり、情報を無責任に拡散したりします。
SNSが身近なツールになったことによって、ますますこうした傾向が強まってきました。ただ、さすがに「行為は批判されてもしょうがないけど、行き過ぎた個人攻撃や、まして学校などを非難するのは単なるリンチではないか」という声も上がります。
そもそも自分が直接被害を受けたわけでもないのに、なぜ遠慮なく叩いていいと思えるのか。学校に抗議の電話をかけたりするのは、回転寿司テロと五十歩百歩の迷惑行為ではないのか。よくないことをやったかもしれないけど、だからといってリンチをしてもいい理由にはならない。そんな当然の疑問を呈する人も少なくありません。
一時的に頭に血が上っていたとしても、こうした冷静な意見を目にしたら「ああ、たしかにそうだなあ」とすんなり納得するはず……と思ったら大間違い。人間はそんなにシンプルでもお利口でもなく、誰かを叩いて溜飲を下げたい、わかりやすい正義感に酔いしれたいという甘い誘惑は、簡単には振り切れないようです。
ネットのコメント欄などでは、「それってリンチじゃないの」「リンチはよくないよ」という意見が書き込まれると、大量の「反論」がぶつけられるという図式があちこちで繰り広げられました。ムキになって反論している人の理屈は、大きくまとめると次の3つ。
「あれだけのことをやったんだから、周囲も含めてひどい目に合うのは当然だ」
「周囲もひどい目にあわないと、本人も反省しないし、見せしめにもならない」
「そもそもリンチの何が悪いのか。善良な我々は悪人に何をしてもいいはずだ」
屁理屈にもなっていない呆れた言い種です。ただ、コメント欄の盛り上がり方を見ると、どうやら「極端なことを言っているヘンな人が何人かいる」という話ではありません。今の日本には、本気で「これはリンチではない」「リンチの何が悪い」と思っている人が、一定数いるようです。