15才で仏門に入り、朝から晩まで掃除と修行の日々を過ごした光永圓道師が28才で挑んだのは「千日回峰行」。約1000日間、比叡山の山中などを祈りながら歩き続け、地球1周分(約4万キロ)を踏破し、9日間断食・断水・不眠・不臥で不動真言10万回を唱える「堂入り」など、平安時代から1000年続く、日本仏教界で最も苛烈と言われる修行だ。織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした1571年以降、満行した者はたった51人だけしかいない。ちょうど50人目の達成者となった光永師が到達した、「人生を整える作法」をお届けする。
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「私を生かしてくださる世界」が見えた
私は、織田信長の延暦寺焼き討ち(元亀2年/1571年)以降の約450年で、ちょうど50人目の北嶺大行満大阿闍梨となりました。北嶺大行満大阿闍梨とは、千日回峰行を満行した者のことです。
具体的に、何をしたのかと申し上げますと、7年間で1000日(975日)をかけて、比叡山の山上山下から赤山禅院(京都市左京区)、京都市街まで歩き、仏さまや神さまに祈りを捧げ、木や草花に祈りを捧げ、石や岩に祈りを捧げて巡拝いたしました。
日本に大乗仏教をもたらした伝教大師さま(最澄)は、「山川草木悉皆成仏」とおっしゃったのです。人間だけが成仏できるのではない。草花や木や石まで、この世界を構成しているあらゆるものが、仏さまに向かって開かれているのだと。
千日回峰行の目的は歩くことではありません。お山の3塔16谷を巡拝する過程で250カ所以上もの霊場が見出され、数百年にわたって受け継がれて参りました。1年目から3年目は、比叡山中に点在する霊場のすべてを100日毎夜巡拝します。250カ所以上の場所を訪れるため、結果として、回峰行者は長い距離を歩くことになるのです。
また、すべての回峰行者には、僧侶としてのお勤めがございます。回峰行だけを行じていればいいというわけではありません。みずからが住持するお寺の仏さまへの勤行(お経を上げる)など、日中はほかのお坊さんと同じようにお勤めをさせていただきます。
そして、1日のお勤めが済んだ後から、回峰行が始まるわけです。そのため、千日回峰行は、夜を徹して行じられることとなりました。私は夜8時頃に床に就き、午前0時過ぎに起床。仏さまにお経を上げてから出発し、朝8時にお寺に戻り、そこから僧侶としての日中のお勤めをおこなっていました。
一見、ただの石や木としか映らない霊場を巡拝することで、何かが見えてくるものでしょうか。受け取り方は行者によってさまざまと思いますが、私には「私を生かしてくださる世界」が垣間見えました。「単独で生きている」のではなく、「生かされている」と感じたのです。