仏教の教えに「持ちものを減らした方がよい」という考え方はない
そして実際にやってみると「もとに戻すこと」は、「きれいにすること」よりは難しくないのです。履物を下足箱に戻し、作務衣を衣装箱に戻すだけでなく、ゴミはゴミ箱に戻す。床のほこりやクズは、掃除機の中に戻す。
では「もとに戻す」ための掃除を始めるのに、あなたはどこから手をつけるべきでしょうか。目につく端から、「要るか/要らないか」を判断して、要らないものを1カ所に積み上げていけばよいでしょうか。私としては、こういったやり方はお勧めできません。
あるとき、遠方のお寺への旅の途中に本屋さんに立ち寄ると、ライフスタイル特集と仏教をかけ合わせたようなムック本が目に付きました。さっと流し読みすると、できるだけものを持たない「ミニマムライフ」と呼ばれる生活様式と仏教に関連性があるかのような記事があって驚いたことがあります。
仏教の教えに「持ちものを減らした方がよい」という考え方は存在しません。同様に、仏教的な考え方の中に「要るもの/要らないもの」を区切る方法も示されていません。「要るか/要らないか」を決めなければならない理由は、ひとつだけ。私自身も含めて、ほとんどの人間は、生活空間の中に「すべてのもの」を収納できるほどの大きなスペースを持っていないからです。
置かれるべき場所があるならば、そこにものはあってよいのです。置かれるべき場所がないのであれば、それは、あなたの手に余るものなので、処分するなり、誰かにお譲りになられた方がいい。「要るか/要らないか」というよりも、「そのものにふさわしい置かれる場所があるか/ないか」をご判断されることで、あなたにとって適切なものの量は決まってくる、というのが基本的な考え方でしょう。
※『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』より一部抜粋
【プロフィール】
光永圓道(みつなが・えんどう)/1975年生まれ。1990年に15才で得度受戒。2000年に延暦寺一山・大乗院住職に・2009年、千日回峰行を満行し北嶺大行満大阿闍梨となる。現在は、大乗院住職、覚性律庵(滋賀県大津市仰木4-36-20)住職。光永圓道大阿闍梨が、仏門の修行と千日回峰行の荒行を経て到達した「心地良く生きるための作法」を説いた『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』が発売中。