俳優業に足を踏み入れて60年余り──その間に小林稔侍(82才)は、敬愛する先輩俳優も、長らく連れ添った伴侶も見送ってきた。傘寿を過ぎ、嫌でも老いを感じる年齢を迎えても、小林の前に続くのは役者道という一本道。
「死ぬまで役者です。その気持ちに変わりはないです」。2月7日に82才の誕生日を迎えたばかりの小林稔侍は、その数日後、本誌『女性セブン』の記者の問いかけに深みのある声でそう答えた。遅咲きのバイプレーヤーといわれ、映画、ドラマに欠かせない名脇役として、いぶし銀の魅力を放ち続けている小林は、今年でなんと芸歴62年目を迎える。しかし、2021年3月に映画『キネマの神様』の完成報告会に登場して以降、メディアへの露出が極端に減少していた。
「コロナ禍以降、小林さんをドラマや映画でお見かけする機会がめっきり減って、業界内では体調を心配する声も聞こえていました。今年のお正月のドラマスペシャルに特別出演し視聴者を喜ばせてくれましたが、年齢のこともあり、仕事をセーブしていた面はあるそうです。ただ、小林さんにとってはコロナよりも、50年近く連れ添った奥さんに、先立たれたことが大きかったみたいです」(芸能関係者)
小林の妻・厚子さんは、2017年の夏の終わりに、ひっそりとこの世を去っていた。
小林は、1941年2月、和歌山県で生まれた。1961年に東映第10期ニューフェイスに合格し、1963年に『警視庁物語 十代の足どり』で俳優デビューした。小林が厚子さんと結婚したのは、28才のときだった。同い年の厚子さんは、銀行に勤めていた。
「デビューこそしていましたが、当時、まだ東映の大部屋俳優だった小林さんとの結婚に、厚子さんの周囲は猛反対だったといいます」(別の芸能関係者)
反対する声をピタリと止めたのは、高倉健さん(享年83)の存在だった。小林が厚子さんを連れて健さんに挨拶に行ったとき、「稔侍はいい役者になるよ」と太鼓判を押したという。
「結婚式を挙げてやる」「新居の購入資金も貸す」──健さんは次々と申し出たというが、小林はまだ自分が一人前の役者になっていないとすべて断り、唯一頼んだのが婚姻届の証人だった。挙式も披露宴もしなかったが「健さんが結婚の証人」というだけで、周囲は祝福ムードに変わった。
結婚の翌年に長男が誕生、その1年半後には長女に恵まれた。小林は長男を、健さんそのままに「健」と命名。長女には健さんに名づけ親をお願いし、「千晴」とした。一家は東京・町田市にある団地で暮らした。仕事のない日は乳母車を押して団地の中を散歩するのが日課となり、唯一、育児をした時間だった。
「その頃の小林さんは端役ばかりでしたが、仕事は多くてあまり家にいなかったんです。自身も“子供たちにはほとんどしつけをしてこなかった”と話している通り、子供のことはすべて厚子さんに任せていましたね。厚子さんが家を守ってくれたからこそ、なんの心配もなく仕事のことだけを考えていられたみたいです」(映画関係者)
小林の転機は、1986年の連続テレビ小説『はね駒』(NHK)で演じたヒロインの父親役だ。遅まきながら迎えた45才でのブレークだった。
「家には寝に帰るだけ、家族旅行はゼロ。地方へ行ってもお土産を買ったことすらなかったそうです。それでも、子供たちは拗ねたりしなかったといいます。厚子さんは“お父さんはこの仕事で家族を支えてくれている”と言い聞かせ、出演番組は必ず子供たちと姿勢を正して見ていたそうです。父親への尊敬と信頼を子供たちに伝え続けた厚子さんは、同時に、たくさんの愛情も注いで育ててきたのです」(前出・映画関係者)
1993年に、小林は雑誌のインタビューで、次のように明かしていた。
《女房なんか別にあれ買ってくれ、これが欲しいって全然僕に求めないんだよね、体も求めないけど(笑)。だから、よくしてあげなきゃナってつくづく思うんだ》
ユーモアを交えながらも、厚子さんへの深い感謝が伝わってくる。小林が厚子さんを生涯の伴侶に選んだ理由には、「親を大事にしてくれる人」と確信したこともあった。小林は父親の死後の1994年頃、車いす生活となった母親を故郷の和歌山から呼び寄せている。
「幼少期に体が弱く、小児結核と小児喘息を患っていた小林さんは、お母さんから献身的な看病を受けたといいます。その甲斐あって、小学校高学年くらいまでには、ほかの子と同じように学校に通えるようになった。それだけに、人一倍お母さんへの愛情は深かったんです。
厚子さんはそんな気持ちを知っていたから、仕事で家を空けることが多い小林さんに代わって、毎日、食事からお風呂まで付きっ切りで義母の介護をしていました」(前出・別の芸能関係者)
小林は2018年に公開された映画『星めぐりの町』で、デビュー56年目にして初の映画主演を務めた。だが、厚子さんはその晴れの作品を目にすることなく、天国へと旅立った。
小林は厚子さんが亡くなったことを、これまで周囲に伏せてきた。2月上旬、女性セブン記者は小林の自宅でインターホン越しに話を聞いた。仕事をセーブしている状況に関しては冒頭のように「死ぬまで役者ですから」と、意欲を見せたが、厚子さんとの別れについて話が及ぶと一転、「特別変わったことはないですから」と言葉少なだった。
「小林さんの内面には、すべて高倉健さんが乗り移っていると言っても過言ではありません。プライベートをほとんど明かさなかった高倉さんに倣って、小林さんも奥さんの死を周囲に伏せていたのかもしれません。ただ、“半隠居”ながら糟糠の妻と死別したことは、小林さんにとってこの上なく悲痛な出来事だったに違いありません」(前出・芸能関係者)
現在、小林は長らく厚子さんと暮らした神奈川県内のマンションを出て、別の場所で暮らしていた。しかし、かつての自宅は所有したままで、さらに、夫婦の思い出が詰まった部屋は当時のまま残されているという。