人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、中世で黒死病と恐れられたペストについてお届けする。
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前回に引き続き、中世のペスト(黒死病)の大流行についてお話ししましょう。
黒死病は全世界で7000万人、ヨーロッパで3000万人以上という人命を奪いました。フランスでは黒死病のあと人口が元に戻るのに2世紀を要しましたが、それは他のヨーロッパの地域でも同じでした。黒死病以前のヨーロッパ社会では人々は教会と領主の二重の権力で縛られ、人口の大半を占める農奴はそのほとんどが荘園に縛り付けられてひたすら働かされていました。また、宗教界ではカトリック教会が西ヨーロッパただ1つの教会であり、すべてのキリスト教徒が属していました。民衆はキリスト教の組織に組み込まれ、思想的にもキリスト教を心の拠り所として、神に救いを求めて生きていたのです。
黒死病の後、農村での深刻な労働力不足で実った小麦が刈り取れない事態に陥ったとき、領主は農民の農業生産者としての役割を認めざるを得なくなりました。結果として小作制が採用され、農業労働の対価が賃金で支払われるようになったのです。これは農奴制度が事実上崩れたということになり、それは荘園制度の崩壊と封建制の没落という大きな社会変革を意味したのです。時を同じくして、労働問題の先駆的な国家であるイギリスでは、1349年に「労働者勅令」、1351年に「労働者規制法」が農業労働者への措置として立法されています。
さらに労働者不足はヨーロッパの農業地図に大きな変化を起こします。小麦栽培より耕作にあまり人手の要らない葡萄栽培が広がり、作業効率のいい牧畜も増えることになりました。葡萄栽培はワインの増産につながり、主要な産業に育っていきます。また、牧畜は原料としての羊毛の生産が増え、それは羊毛製品の生産を促すことになります。例えばイングランドの羊毛製品は、この後、産業革命を経て伝統的な産業に発展していくのです。