漫画『はだしのゲン』は、作者の中沢啓治氏自身の被爆体験を元に、戦中戦後を生き抜く少年、中岡元(ゲン)の姿を描いたものだ。漫画本編を読んだことがなくとも、「だめじゃだめじゃだめじゃ」のコマを切り抜いたインターネットミームで同作品を知る人は多いのではないだろうか。約50年前の週刊少年ジャンプ連載作品でありながら今もネットで話題になるのは、長年、広島市が平和教育教材として使用し続けてきた影響も大きい。ところが、広島市教育委員会による「平和教育プログラム」の見直しによって、小学3年生向けの教材から削除される方針が明らかになった。俳人で著作家の日野百草氏が、被爆二世である自身のルーツに触れつつ、都合が悪いもの、見たくないものを「なかったこと」にしようとする可能性の恐ろしさについて考えた。
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原爆の悲劇を描いた不朽の名作『はだしのゲン』が、物語の舞台である広島市の平和教育教材から削除されることになった。広島市教育委員会によれば「限られた授業時間では原爆そのものを伝えづらい」「当時の文化や悪事の背景まで説明できない」といった理由である。教育委員会の有識者によれば、栄養失調の母親のために鯉を盗む、家族のために浪曲を歌って日銭を得るといった行為が「なじまない」あるいは「誤解」を与えるそうだ。また原爆による倒壊で家の下敷きになった父親が息子たちを逃がす場面もまた「被爆の実態に迫りにくい」らしい。教育現場における時間の制約と苦労はわかるが、本当にそうなのだろうか。『はだしのゲン』は教育に「不都合」なのだろうか。
筆者は長崎の被爆二世である。ただそれだけの話だが、そのおかげで被爆者の父から記憶という「財産」を受け継いでいる。その記憶という「財産」は決して美しい悲劇などではなく、むしろ『はだしのゲン』で描かれたのと同様に残酷で、理不尽で、受け取る人によっては「愚か」とされてしまうかもしれない。それでも、筆者はこの一族の「不都合」を誇りに思っている。
これから、その2019年に亡くなった長崎の被爆者、父に成り代わり、「私」として、生前に伝え聞いた記憶そのままに語ろうと思う。
「被爆者は早死にする」と言われたことが悔しかった「私」
〈私の家族は、原爆に殺された。
六人家族で長崎市の西山という高台に住んでいた。昭和20年3月生まれで四兄妹の末っ子である「私」は生後半年だった。
あの日、父は山の表側にある畑に出ていた。一番目の兄は勤労動員で長崎造船所にほど近い工場で働いていた。母と二番目の兄、姉は私と家にいたと思う。「思う」というのは父親とも一番目の兄とも会ったことはなく、その原爆の記憶は残された家族から聞かされたものだから。