2013年7月、山口県周南市のわずか12人が暮らす集落で、一夜にして5人の村人が撲殺され、翌日、放火の焼け跡から遺体で発見された。犯人である保見光成死刑囚は上京後、地元に戻ってきたUターン組であり、事件の背後に、地域社会からはじかれたことの影響が取り沙汰された。あれから10年、ノンフィクションライターの高橋ユキ氏が、事件の真相に迫った【前後編の後編。前編から読む】。
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事件直前は村の危険人物に成り果て、草むしりなどの集落の作業にも、自治会の仕事にも参加せず、回覧板も受け取らない生活をしていたワタル(保見光成の通称)。自治会は、ひとり暮らしの者には馴染みのないものかもしれないが、その地に根を張り、他の住民らと共存していくためには重要な組織だ。
自治会では冠婚葬祭や清掃、その他諸々の行事をともに協力して行う。物理的に、作業は増えるが、地域に自分の存在を知ってもらえるため、見守りや防犯といった観点からは安心が得られる。自治会に入らなければ、回覧板も届かなくなり、おのずとコミュニティからは浮いた存在になりがちだ。
ワタルもまた、最初から孤立していたわけではなかった。
関東に出る前の幼少期は、ガキ大将として近所の子供を引き連れて遊んでいた。連れ回されるのがいやで、子供たちはたいてい、ワタルが遊びに来る前に出かけるようにしていたという。その一方で、いじめられていた同級生を守ってあげたこともあった。
1996年5月に郷集落に戻って来たばかりの頃も、いわゆる“変人”ではなかったのだ。まず、戻った翌月に自治会の旅行に参加した。その翌月に開かれた自治会による歓迎会にも参加して、自己紹介をし、村人たちの輪の中にすすんで入ろうとしていた。2日連続の公民館行事にも参加した。旅行でのワタルの様子を覚えている村人はいない。ということは、逆に言えば取り立てて何も問題がなかったのだろう。
歓迎会でワタルは、自分がこの地で何をしたいか、村人たちに提案をしていた。公判を傍聴した先のマニアが、この当時の情報を教えてくれた。
「本人に面接して本鑑定を行った精神科医が、『彼は村おこしに失敗した』と言っていました。その一言だけで、具体的には何に失敗したのか言っていなかったんです。本人は手に職があるからバリアフリーをやってみたり、年寄りが多いから色々と電気の付け替えとか、便利屋さんをやろうと思っていて、戻って来た年に、あの新しい家で『シルバーハウスHOMI』を開業したんです。そこでやっぱり介護とかデイサービスみたいなこともやろうと思ったんじゃないですかね」
ワタルは独力で建てた新宅で、リフォーム業を主とする便利屋を開業しようとしていた。すでに過疎化が進んでいた村を盛り上げたいという意思を持っていたという。実際、新宅は村おこしの拠点にしようというワタルの思いが込められた造りになっている。
「気軽に集まってもらったり、お酒を飲んで歌ったり、話をしたりしたら楽しいよね」
ある村人は、ワタルからそう言われたことを覚えていた。いま草に覆われている新宅の扉の奥には、カウンターバーがあり、カラオケ機器も当初から取り付けられていた。地下にはトレーニングルーム、さらには陶芸のための窯もあった。ワタルはこの家を村人たちの交流の場として作ったのだ。
日々ドアを開けてふらっと訪れる村人たちと、カウンターでお酒を飲みながら交流を深め、地元を盛り上げるための色々な案を考えていきたい……そう夢見ていたという。