第5回WBCは侍ジャパンが4連勝で1次ラウンド首位突破を決めた。東日本大震災から12年が経過した3月11日には、1次ラウンド・チェコ戦で佐々木朗希(千葉ロッテ)が先発し、4回途中に降板(1失点)するまで8奪三振。大谷翔平(エンゼルス)らの活躍もあって10対2で勝利し、2009年の第2回大会以来となる世界一を目指す侍ジャパンを勢いづけるかたちとなった。
佐々木朗希にとってこの日は津波で亡くなった父や祖父母の命日でもあり、大谷にとっても震災は花巻東に在学していた頃の辛い思い出である。岩手が生んだふたりの怪物にとって、特別な日の特別な勝利のさらに翌日──。
大阪府は富田林市の丘陵地帯に広がるグラウンドでは、やはり岩手県に生まれ育った花巻東の怪物スラッガー・佐々木麟太郎が特大の一発を放ち、高校通算本塁打はとうとう早稲田実業時代の清宮幸太郎(北海道日本ハム)が持つ「111本」に並んだ。
大阪偕星学園との練習試合(ダブルヘッダーの1試合目)の初回だった。1死一塁の場面で打席に入った佐々木は、2ボール・1ストライクからの4球目をとらえ、白球は右中間の最深部に消えた。同校の佐々木洋監督を父に持つ佐々木は、悠然とダイヤモンドを一周し、ベンチも記録に並んだことを喜ぶような気配もない。佐々木にとっても、他のナインにとっても、単なる111本目の本塁打に過ぎないのだろう。
記録に一喜一憂しない花巻東ナインを見るにつけ、“高校通算本塁打”なる記録は、スポーツ紙やテレビが重宝する話題作りでしかない、とつくづく思う。確かに、入学からわずか2年という短い期間に111本もの本塁打を積み重ねたことは快挙だ。だが、練習試合を含めた自己申告の記録にどれほどの意味があるのだろうか。公式戦や甲子園での通算本塁打ならまだしも、練習試合の実施は公立と私立で数が大きく異なるであろうし、ましてコロナ禍に入学した現役の高校生は地域によって対外試合が実施できなかった期間も大きく異なる。練習試合の会場が球場ではなく学校のグラウンドであることも多く、公式戦では使用できないような両翼の広さであることも珍しくない。また、練習試合では公式戦とは異なりDH制を取り入れたりすることもある。
高校通算56本の大谷翔平や同87本(歴代6位)の中田翔よりも、111本を積み重ねた清宮が歴代最強スラッガーで、それに並んだ佐々木の将来が約束される記録なのだろうか。違うだろう。
それを佐々木や花巻東の指導者も分かっているからこそ、学校側も佐々木の本塁打数をわざわざ喧伝することはなく、この日、取材に訪れていたのは筆者だけだった。