平成中期頃の強豪校名プレー集を再発売するには再編集必須
「体罰はダメ」という感覚がある程度社会に浸透しているからこそ、体罰がニュースで報じられると大騒ぎになる。世の中が敏感になってきているのはいいことだけど……とうなだれ気味なのは、都内の映像制作プロダクション代表・斎藤保さん(仮名・50代)だ。
「高校スポーツの映像をビデオやDVDにして販売しているのですが、平成中期頃の名プレー集などを改めて見返していると、コーチが生徒を叩いたり蹴ったりするシーンも映っていました。それほど問題視はしていなかったのですが、SNSでも”ひどい映像がある”と一部のユーザーが指摘をしていて、今後販売するものに関しては再編集するしかありません。昔は、強豪校の厳しい指導、という感じで美談になったんですけどね」(斎藤さん)
もちろん、今なお、体罰を止めたら子供が調子に乗る、などといった声もある。しかし、体罰を禁止にして、本当に弊害が起きているのかといえば、そうした声はほとんどない。また、体罰以外で子供に教えられないというなら、体罰を容認する親や教師、指導者たち自身から「体罰以外」の指導方法に関する議論が出てきそうなものだが、その雰囲気も感じ取ることはできない。そして、体罰を容認する人たちだけで、これまで通りの体罰ありな密室をつくりあげ、社会性を失う方向へ舵を切ることすらある。世の中との対話を拒否するような行動は、スポーツそのものの存在意義すら問われる状態ではないのか。
小学生のスポーツ大会などでは、体罰や怒鳴り声を上げないというルールの下で試合が行われたりと、新たな取り組みも散見される。筆者も1度、そういった大会を観戦したことがあるが、子供達は実に楽しそうに、生き生きとプレーをしていた。一方、その様子を眺めてる親の中には、もっと真剣にやって欲しい、遊びにしか見えない、と苦言を呈する人もいた。試合なんだから勝て、と我が子にこっそりアドバイスをする父親も複数人目撃した。ある父親は「多少叩かれるくらいがちょうどいい」と言い放ち、周囲の親も、苦笑いを浮かべつつ首を縦に振る。
「隠れ体罰容認派」ともいえる人々が、そうしたことに思いをはせる日が来るのか。