人に暴力をふるうことによって何かを理解させようとするという方法は、誰が聞いても「おかしなこと」だと思うだろう。古くは明治時代に制定された教育令で明確に体罰が禁じられたにもかかわらず、教師が生徒に、指導者が教え子に教育するための体罰という名の暴力が振るわれる時代が長く続いた。ハラスメントをなくしてゆこうという社会全体の動きにまったく連動しないまま、今も一部のスポーツ強豪校では体罰が続いている。ライターの宮添優氏が、一部のスポーツ指導者がいまも体罰を続けられてしまう背景についてレポートする。
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スポーツの名門校として全国的に知られる千葉・市立船橋高バレー部、同じく強豪として有名な福岡・大牟田高駅伝部、山梨・日本航空高バレー部など、指導者による生徒への体罰行為が相次いで発覚した。市船高の監督は逮捕され、大牟田高の監督も「行き過ぎた指導をした」と認め、謹慎中だという。
教員による生徒への体罰は、かつては当たり前に起きていたし、世間も容認していた。かつてと言っても、それは半世紀以上前の戦中世代が指導者だった時代などではなく、21世紀になるころ、いまからせいぜい20年くらい前ですら、非難する雰囲気が薄かった。アラフォーの筆者世代でも体罰は「普通に存在するもの」と考えていたし、実際に小中学校時代に、担任や部活の顧問から叩かれた経験がある人も少なくないだろう。誰もよいことと推奨はしなかっただろうが、必要悪だと思う人が多かった。
それでも、体罰を苦に自殺する生徒が出るなど社会問題として見做されるようになると、現場からは確かに体罰が減っていったという。東京都内の公立高校教諭・山下亜也子さん(仮名・50代)が振り返る。
「今では、子供達も体罰がいかにダメかということを理解していますし、教員側も、絶対に手を出してはならない、体罰は容認されないという意識を持っています。かつては、仕方ない場合もあるとか、叩かないとわからない場合もあるなど、生徒教員両方が体罰をある程度容認していた。良い意味での変化はかなりあったとおもいます」(山下さん)
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一方、冒頭で紹介したように、体罰は根絶されたわけではなく、厳然と存在している。中部地方在住の公立高校教頭・松井大作さん(仮名・50代)は、特にスポーツ関係においては、今なお「体罰容認」の風潮は根強いと話す。
「体罰はダメだと誰もが思っています。しかし、スポーツの世界においては、監督と生徒、コーチと生徒という命じる者と従う者という関係性が一般的な学校生活における関係よりも強く、指導も厳しくなりがちなのは確か。強豪校ともなれば、強権的な監督やコーチがいて、生徒も親も、そして学校ですらコントロールできない場合がある。そうした学校では、全体で体罰を容認するような雰囲気があるんです」(松井さん)