ライフ

【逆説の日本史】「破廉恥罪」を回避するため贈賄を認めた元海軍軍人・松尾鶴太郎の「心情」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その5」をお届けする(第1375回)。

 * * *
 日本人は「昭和二十年」の手痛い敗戦に懲り、「軍事から手を引く」と決心した。

 この『逆説の日本史』を通してのテーマでもあるが、日本には基本的に二つの「人種」がいる。一つは弥生人の末裔である「平安貴族」、そしてもう一つは縄文人の末裔である「鎌倉武士」で、平安時代までは弥生人が優勢であり「弥生王」とも言える天皇家は「動物を殺さない文化=死をケガレとして嫌う文化」の継承者であったために、その頂点に立った桓武天皇は軍事権および警察権を放棄してしまった。

 しかし、これでは国家が立ち行かない。そのため、それらを拾い上げる形で幕府という軍事政権を作ったのが武士であった。日本にとって幸いだったのは、いわゆる元寇がこの軍事政権の時代に起こったことである。もう少し前の武士がまだ力を持っていないころに中国が攻めてきたら、われわれは対抗できなかったかもしれない。つまり日本という独立国家は存在せず、中華人民共和国日本省になっていたかもしれないということだ。

 日本の独立は鎌倉武士の軍事力によって守られたのだが、その事実を認めたくない平安貴族たちは神風のおかげだと主張し、世界中どこでも認められている軍事力の効用を認めなかった。いまのウクライナが好例だが、軍隊はやはり侵略をはねのけるためには絶対に必要なものである。しかし日本人だけがそれを認めたがらず、とくに戦後の日本人は平安貴族に戻ってしまった。

 元寇のとき、平安貴族が元の侵略をはねのけたのは鎌倉武士の軍事力では無く神風のおかげだと強弁したように、現代の日本人の一部は戦後日本が平和だったのは日米安保や自衛隊の抑止力のためでは無く、平和憲法のおかげだと主張している。こういう考え方はどちらも迷信、いや一応信仰と言っておこうか、であるというのが私の歴史を見る視点である。

 だから、学問の世界もできるだけ軍事から遠ざかることをよしとする傾向ができてしまった。本当に戦争を防ぐためには、戦争というものを徹底的に研究する軍事学部が必要である。ちょうど伝染病を根絶するために伝染病研究所が必要なのと同じことなのだが、日本の国立大学には軍事学部が一つも無い。あえて言えば防衛大学校がそれに当たるかもしれないが、あれはやはり一般人が戦争を研究する大学とは言い難いものがある。

 言うまでも無く、昭和二十年以前の日本は軍事優先の国家であった。それは十九世紀に起こった帝国主義のなかで、日本を欧米列強の植民地にさせまいと考えたわれわれの先祖が武士の文化を優先させたからだ。しかしそれが行き過ぎて大日本帝国が滅びると、今度は貴族の文化が優先されるようになった。学問の世界でも、この時代を研究するなら軍事あるいは軍人に対する常識が必要不可欠なのに、歴史学者も含めてそれを持っていない人があまりに多すぎる。だから「海軍史家」紀脩一郎の分析も理解できない。前回の最後で述べたように、予審判事潮恒太郎が元軍人の松尾鶴太郎に「トリック」を使って贈賄を認めさせた、と紀脩一郎は主張する。その主張をそのまま引用すれば次のようになる。

〈松尾鶴太郎被告の取り調べにあたって、潮判事は、検事調書を読み聞かせてから、松尾に向かって、検事は被告を詐欺取得罪という破廉恥罪で起訴しているが、いやしくも海軍将官(正確には元将官。引用者註)たる被告にとって、不名誉きわまる罪状ではないか。もし被告が三井物産から受け取った四十万円は、松本和中将に贈賄するためのものと認めるなら、破廉恥罪たる詐欺取得でなくて単純の贈賄罪にするがと、たくみに被告の弱点をにぎって誘導尋問をした。松尾は判事のトリックに気づかず、破廉恥罪で公判に付せられたくない一念から、三井物産から受けた四十万円は謝礼なのに、自分から松本被告に贈賄するために受領したと陳述し、マンマと予審判事の術中に陥ってしまった。〉
(『史話・軍艦余録 謎につつまれた軍艦「金剛」建造疑獄』光人社刊)

 多くの読者の反応は「はあ?」だろう。理解不能ということだ。「詐欺取得罪であろうが贈賄罪であろうが、刑法上の犯罪であることには変わり無いではないか。なぜそんなことにこだわるんだ。無罪を主張するならともかく、有罪は有罪なんだから状況が変わるわけでも無いし」というのが多くの日本人の感想だろう。だが、じつは誘導尋問以前と以後で大きく変わったものがある。元海軍軍人松尾の「心情」である。それは軍人とはどういう「人種」かがわかっていないと理解できない。

関連キーワード

関連記事

トピックス

盟友である鈴木容疑者(左・時事通信)への想いを語ったマツコ
《オンカジ賭博で逮捕のフジ・鈴木容疑者》「善貴は本当の大バカ者よ」マツコ・デラックスが語った“盟友への想い”「借金返済できたと思ってた…」
NEWSポストセブン
米田
《チューハイ2本を万引きで逮捕された球界“レジェンド”が独占告白》「スリルがあったね」「棚に返せなかった…」米田哲也氏が明かした当日の心境
週刊ポスト
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(左/Xより)
「『逃げも隠れもしない』と話しています」地元・伊東市で動揺広がる“学歴詐称疑惑” 田久保真紀市長は支援者に“謝罪行脚”か《問い合わせ200件超で市役所パンク》
NEWSポストセブン
佐々木希と渡部建
《六本木ヒルズ・多目的トイレ5年後の現在》佐々木希が覚悟の不倫振り返り…“復活”目前の渡部建が世間を震撼させた“現場”の動線
NEWSポストセブン
モサドの次なる標的とは(右はモサド長官のダビデ・バルネア氏、左はネタニヤフ首相/共同通信社)
イスラエルの対イラン「ライジング・ライオン作戦」を成功させた“世界最強諜報機関”モサドのベールに包まれた業務 イラン防諜部隊のトップ以下20人を二重スパイにした実績も
週刊ポスト
東川千愛礼(ちあら・19)さんの知人らからあがる悲しみの声。安藤陸人容疑者(20)の動機はまだわからないままだ
「『20歳になったらまた会おうね』って約束したのに…」“活発で愛される女性”だった東川千愛礼さんの“変わらぬ人物像”と安藤陸人容疑者の「異変」《豊田市19歳女性殺害》
NEWSポストセブン
児童盗撮で逮捕された森山勇二容疑者(左)と小瀬村史也容疑者(右)
《児童盗撮で逮捕された教師グループ》虚飾の仮面に隠された素顔「両親は教師の真面目な一家」「主犯格は大地主の名家に婿養子」
女性セブン
組織が割れかねない“内紛”の火種(八角理事長)
《白鵬が去って「一強体制」と思いきや…》八角理事長にまさかの落選危機 定年延長案に相撲協会内で反発広がり、理事長選で“クーデター”も
週刊ポスト
たつき諒著『私が見た未来 完全版』と角氏
《7月5日大災害説に気象庁もデマ認定》太陽フレア最大化、ポピ族の隕石予言まで…オカルト研究家が強調する“その日”の冷静な過ごし方「ぜひ、予言が外れる選択肢を残してほしい」
NEWSポストセブン
大阪・関西万博で、あられもない姿をする女性インフルエンサーが現れた(Xより)
《万博会場で赤い下着で迷惑行為か》「セクシーポーズのカンガルー、発見っ」女性インフルエンサーの行為が世界中に発信 協会は「投稿を認識していない」
NEWSポストセブン
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(HP/Xより)
《東洋大学に“そんなことある?”を問い合わせた結果》学歴詐称疑惑の田久保眞紀・伊東市長「除籍であることが判明」会見にツッコミ続出〈除籍されたのかわからないの?〉
NEWSポストセブン
愛知県豊田市の19歳女性を殺害したとして逮捕された安藤陸人容疑者(20)
事件の“断末魔”、殴打された痕跡、部屋中に血痕…“自慢の恋人”東川千愛礼さん(19)を襲った安藤陸人容疑者の「強烈な殺意」【豊田市19歳刺殺事件】
NEWSポストセブン