主人公は、短大の入学金30万円が未納だとの連絡を突然受け、母親がその金を婚約者の事業資金に回してしまったことを知る18歳の〈理佐〉と、8歳の妹〈律〉。進学を断念せざるを得なくなった理佐は、その婚約者が夜中に律を家から閉め出していた事実に怒り、独立を決意。律と〈振り子電車〉の特急に乗り込み、求人票に〈鳥の世話じゃっかん〉とあった山間の蕎麦屋をめざすのである──。
近年は英訳版「給水塔と亀」がPEN/ロバート・J・ダウ新人作家短編小説賞に輝くなど、国際的にも注目を集める津村記久子氏。本書『水車小屋のネネ』は〈家出ようと思うんだけど、一緒に来る?〉と訊く姉と〈お姉ちゃんと私は十個はなれてるよね〉〈いいんじゃない〉〈九個ならことわってた〉と答える本好きな妹の、実に40年にわたる日々を追った自身最長の長編である。そして、そんな姉妹と人々を繋ぐのが、先代店主から石臼の見張り役を仕込まれた、50年は生きるとされる推定年齢10歳のヨウム、ネネだった。
「実はヨウムと水車の話は、ずっと書きたかったんです。今回は夕刊連載ということで、750枚は書いてほしいと。長いので深刻な話はしんどいし、私自身が飽きないためにも読み心地のいい話を書こうと決めて、1981年から10年毎に中編を4つ並べる形にしました。ヨウムが長生きだから40年という長さにできたんです。
なぜヨウムかというと、私は賢い動物全般が好きで、例えば長生きしたヨウムがいろいろ喋るけど、なんでそんなことを言うのかわからない。その言葉を覚えた場面を1つ1つ書いていったら面白いかなというのが、初期の構想だったと思う。ネネが映画『グロリア』の台詞とか、高校受験に出る〈六波羅探題〉や〈貧窮問答歌〉を諳んじたりするのも、その言葉を教えた人間がいたからなので」
では、水車は?
「水車は何なら私が欲しいくらいで(笑)。化石燃料も要らないし、大量消費社会っぽくないですよね。軸に臼をつけて製粉したり、何なら発電までできたり、動力自体はシンプルなのにいろんな使い方ができる。かつて欧州では水車は権力者の持ち物で、それを使う権利を握られた庶民にとっては、臼を手で挽くことが反骨の象徴だったりもしたらしい。面白いでしょう?
その水車の番をネネがし、そのネネの世話をするのはどんな人物が相応しいかというふうに、各話の設定が固まっていきました」
結論から言えば第1話は理佐と律が。その10年後の1991年を描く第2話では律が就職して頻繁には通えなくなり、第3話では水車が製薬会社に貸し出されるなど、ネネの世話役も時代と共に移り変わっていった。
一方その間、姿は見えずとも駅を降りた途端に聞こえる〈川の音〉も水車もネネもずっと変わらずにあり続け、両者の対比が見事だ。
「舞台は架空の町ですけど、とある振り子電車の沿線に、川の音だけが聞こえる駅が本当にあって。そんな町に何も持たない姉妹が降り立ち、まずは冷蔵庫を買って、次は扇風機とか、私自身、何も持たない頃を思い出しつつ書いてました。眼鏡は高いから、本は暗い部屋で読んだらあかんとか(笑)」