「甲子園はもう十分かな」
ここで改めて、笹倉が表舞台から消えた時のことを振り返りたい。2020年秋の宮城大会の途中、大会パンフレットにあった仙台育英の笹倉の名がわざわざ塗りつぶされていた。前年の夏に甲子園のマウンドに上がった投手にいったい何が起こったのか。高校野球界には様々な噂が飛び交った。
取材の結果、私は笹倉が自主退学した事実を知る。
ただ、その時はネット上の憶測などをもとに詮索したり調べ上げて記事化を試みたりする気にはなれなかった。もちろん、未成年の高校生に対する配慮も必要だと考えた。こういった場合に大事なのは、周りにいる大人たちがいかにドロップアウト後の人生のサポートをしてあげられるかだ。私もいつの日か笹倉が表舞台に帰ってくる時、再起にエールを贈る原稿を書きたいと心に秘め、その後も動向を追ってきた。
しかし、伝わってくる笹倉の情報は真偽の怪しいものばかりだった。
笹倉は大分にいる。
そんな情報が入ってきたのは2022年が明けてすぐの頃だった。
ただ、私はすぐには動かなかった。別府に押しかけるのは簡単だが、笹倉が自ら口を開かないことには無意味と思ったからだ。そうして1年がさらに過ぎ、この春のタイミングならば再起に向けた決意表明が聞けるのではないか。そう思ってベゼルに連絡を入れ、取材は了承された。
別府湾を見下ろす別府市民球場で練習する笹倉は、高校時代に比べ見違えるほど身体が大きくなっていた──。
「なぜ退学せざるを得なかったのか、その理由ですか? それはやっぱり喋りたくありません。犯罪とかではないです。若気の至り、ですね……」
中学時代から大きな注目を集め、甲子園のマウンドにも立ったし、打席で快音も響かせた。それなのに学校を去らざるを得なかったのは、大きな挫折だったはずだ。もう甲子園のマウンドに立つことはできない。それは絶望に近い感情だったのではないだろうか。
「それはなかった。一度でも、甲子園には立てたので、もう十分かなという感じでした」
投げやりにも聞こえるこの言葉は笹倉世凪という野球人の本心なのだろうか。そうは思わない。
【後編へ続く】