95回目の記念大会だった今年のセンバツは、山梨学院が兵庫の報徳学園を7対3でくだして県勢初の甲子園制覇を遂げ、幕を閉じた。優勝候補の大本命として、連覇に挑んでいた大阪桐蔭は準決勝で報徳学園(兵庫)に5点差をひっくり返されて5対7で敗れた。報徳学園出身の西谷浩一監督は、母校を相手にしたこの試合に勝利すれば、智弁和歌山元監督の高嶋仁氏が持つ甲子園通算68勝という最多記録に並んでいたが、それは夏以降に持ち越しとなった。
勝利よりも、敗北が大きなニュースになってしまうのが、春4回、夏5回の全国制覇を誇る大阪桐蔭だ。試合中、同校がリードを奪えば、昨夏の準決勝・下関国際(山口)戦のように甲子園全体が判官贔屓モードに突入し、劣勢な対戦校の背を押す。相手が甲子園からほど近い兵庫の報徳学園ならばなおさらだ。
大阪桐蔭の一強時代が長く続くことで、甲子園のヒール役となってしまっている感は否めない。全国から大阪桐蔭に集まってくる球児の宿命ともいえる。
「ああなってしまったら、自分たちのペースで野球ができない。その流れを食い止められなかったのは自分の実力不足。悪い流れを止めてこそエースだと思う」
そう振り返ったのは、エース左腕の前田悠伍だ。
前田がマウンドに上がったのは、1点差に迫られた7回裏無死一、三塁の場面。最初の打者に初球をレフト前に運ばれて同点とされたが、後続を断って大ピンチをしのぐ。ところが、8回に先頭打者を歩かせ、プロ注目の捕手・堀柊那こそ三振に抑えたが、4番・石野蓮授に決勝2塁打を浴びた。
「悔しいけれど、(高校野球が)終わったわけじゃない。今日学んだ自分たちの弱さを修正して、夏までになくしていって、夏に切り換えたい」
事実上の決勝戦と目されていた報徳戦。当然ながら、前田は先発するつもりだった。しかし、西谷監督は前々日(3月29日)の準々決勝・東海大菅生戦で毎回の11三振を奪い、完投していた前田ではなく、成長著しい軟式野球出身の南恒誠を先発マウンドに送った。エースに依存し過ぎるような戦い方は、球数制限などが導入された現代の高校野球では勝ち上がれない。チームに「前田だけでは勝てない」というメッセージを込めた起用でもあっただろう。主将でもある前田は、先発を直訴することなく、南に託した。
「西谷先生にはいろんな考えがある。自分は先発したかったですが、自分の気持ちだけで動いていたら考えがすれ違う。だから今日は(直訴を)しなかったです」