【著者インタビュー】武田砂鉄さん/『父ではありませんが 第三者として考える』/集英社/1760円
【本の内容】
《私たちは常に、何かの当事者で、同時に、何かの当事者ではない》。そうしたなかで武田さんは思う。《あれも、これも、考えてみる。自分とは違う誰かのことを想像してみる。人と人とが柔軟な姿勢で接すれば、差異を理由にした諍いが生じにくくなる。成熟した社会はそこから開けていくはずだ。そういう社会、加速しまくれ》。妻はいる、しかし父親「ではない」第三者の側から親・子・家族について考えた、新しい地平を開く論考集。
武田さんは父親ではない。結婚しているが、子どもはいない。「親・子・家族とは何か」、当事者ではない、第三者として考えてみようというのがこの本の画期的な視点だ。
「本を担当してくれた編集者は2人の子どもを育てていて、彼女と打ち合わせしているときに、そういえば、立場の違う相手と子育ての話をしっかりすることってないなあ、という話が出たんですね。そういうところから、今回のテーマで書いてみよう、となりました」(武田さん・以下同)
ライターである武田さんは、元編集者でもある。
「こういう本は今までにある、こういう本はない、というのは常に意識していて、しょっちゅう書店に行っては棚を見ます。『こういう本がない』というのも、この本を書く動機の一つでした」
たしかに、シングルで生きることを選んだとか、結婚しても子どもを持たないことについて書いた本はあっても、それらはたいてい当事者の視点で書かれたものだ。
「父親ではない」人間による父親であることの本がなかったのは、おそらく語る資格がないと考えられてきたからだろう。
「子どものいないあなたにはわからないと思うけれど」。子どものいない人間なら、本の中にも出てくるこのフレーズを、子育てや子どもの話題が出るなかで言われたことは、一度ならずあると思う。
「このテーマで書くと決めてからも、『嫌だなあ、難しいなあ』という気持ちで、なぜそう感じるかと言うと、『あなたにはわからない』と実際に言われると、咄嗟に返す言葉がないからなんですよね。でも、日常生活でなら、『まあ、ねえ……』と流すことでも、本1冊分ぐらいの長い原稿を書くなかでなら言葉が見つかるんじゃないかとも思いました」