ニッポン放送の看板番組『オールナイトニッポン』が放送開始から55周年を迎えた。初期の人気パーソナリティ、そしてニッポン放送社長も務めた亀渕昭信氏(81)は、『オールナイトニッポン』について何を語るのか? 新刊『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』を上梓する亀渕氏が、長寿番組の裏話を語り尽くす。ここでは「お笑いBIG3」や中島みゆきなど、人気パーソナリティについて話を聞いた。【全3回の第2回。第1回から読む】
中島みゆきは「天才」
──パーソナリティからディレクターに戻ってからはタレント起用路線に変わりましたね。
ずっと同じことをしてもダメで、いつも新しい風を吹かせようというのが社風でしたから。ディレクターに戻った時は自分たちが面白いと思う人をどんどん起用していこうと思いました。
1974年に始まった土曜の(笑福亭)鶴光さんは下ネタで人気になりました。鶴光さんによると、僕が「放送には色気が必要」と言ったそうなんです。そしたら鶴光さん、あんなに素敵な「下ネタ」をたくさん喋ってくれて。色気=Hな話題と考えちゃったのかもしれない。鶴と亀、相性が良いんでしょうかね(笑)。
月曜の放送で大人気だった中島みゆきさんは、生まれながらのラジオの天才です。僕は他局の放送をたまたま聴いて、「この人は凄い」と感じてお願いしたんです。
深夜放送は「マイクの穴からリスナーの耳へ届けるもの」という教えがあるんですが、その届ける力がみゆきさんはハンパない。例えば、ハガキや手紙を読む際には必ず紙が擦れる音を立てる。そうするとリスナーが「今、読んでる」と感じるでしょ? 放送最後のハガキ紹介からエンディングの曲までの流れも素晴らしい。おかげさまでみゆきさん担当のディレクターはみんな一流のラジオディレクターに成長しました。
──タモリさんもテレビよりオールナイトでブレイクした印象があります。
福岡県から上京して赤塚不二夫さんの家に居候していたタモリさんにアプローチしたのは、同じ早稲田大学で知己だった岡崎(近衞)正通さんです。オーディションで音を録ったけどブラックジョークがキツすぎて最初は見送ったそうです。タモリのニッポン放送デビューは、アグネス・チャンの放送に“でたらめ中国語”でいきなり飛び入りしたんですって。
それが、オールナイトが始まって一気に人気者になりました。NHKのニュースを継ぎ接ぎしてフェイクを放送したり、得意の大橋巨泉さんの声色で放送してリスナーを騙したり、アナーキーな放送を展開してましたよ。