WBC優勝後も好調をキープし、名実ともに米国スポーツ界の頂点に登り詰めた大谷翔平(28)。だが、カリフォルニア州アナハイムの地元紙『オレンジ・カウンティ・レジスター』の記者、ジェフ・フレッチャー氏は「メジャーで活躍するまでに至る道のりは決して平坦ではなかったんだ」と語る。
パ・リーグMVP、日本記録となる最高球速(時速165km)など数々の記録を引っ提げて、大谷が海を渡ったのは2018年。現地に日本人記者が急増し、弱小球団エンゼルスのファンの期待も高まったが、冷ややかな反応をする米メディアも少なくなかった。フレッチャー氏と同じ地元紙の記者で『ルポ 大谷翔平』(朝日新聞出版刊)の著書があるトム・シムラ氏が振り返る。
「多くのメディアは大谷について、“本当にベーブ・ルースの再来なのか”と疑問視していた。メジャーという世界最高の舞台で、日本人の二刀流が通用するのかという好奇の目もありました」
地元紙番記者として大谷を迎えたフレッチャー氏も当初は二刀流に懐疑的で、当時はこんなコメントを残している。
「投打が平均的にできるよりも、素晴らしいピッチングをするほうが価値がある。どちらも中途半端なら二刀流をやる意味はない」
シーズンに入ると序盤は二刀流で投打に奮闘したが、6月に右肘の内側側副靱帯を損傷し、以降の登板は1度だけ。バッティングの成績が評価されてリーグ新人王に輝くも、真価は発揮できなかった。
オフに受けた右肘のトミー・ジョン手術の影響で2019年は打者のみの出場に終わった。コロナで開幕が大幅に遅れた2020年は投手として復活するもわずか2試合の登板にとどまり、打者としても44試合出場、打率.190、7本塁打、24打点と低迷した。
「重いボール」を投げていた
「情けない」。この年のオフ、大谷は帰国後の会見でシーズンをそう総括した。米メディアから二刀流を断念すべきとの声も上がったが、フレッチャー氏は大谷の発言から隠された決意を読み取った。
「大谷は“自分がもっとやらなくてはならない”と自分を責める傾向と、“上をさらに目指す”という姿勢を併せ持つ稀有な選手です。二刀流に懐疑的な声があっても彼は努力し続けた」
このオフ、大谷はワシントン州シアトルにあるトレーニング施設「ドライブライン・ベースボール」に向かった。そこで科学的根拠に基づいたメニューをこなし、体を一から鍛え直したという。