音楽家・坂本龍一さんの死去に喪失感と悲しみの声が広がっている。YMO時代から坂本さんの音楽を聴いてきた作家・甘糟りり子さんは、どう受け止めたのだろうか。甘糟さんが、音楽を中心に坂本さんについて振り返る。
* * *
坂本龍一さんが亡くなってしまった。3月28日に逝去していたことが、4月2日に発表された。先日、坂本さんが小池都知事らにあてた手紙についての原稿を書いたばかりだったのに。その手紙には「もう反対運動に参加する体力がない」といったことが書かれていたし、今年初めに放送されたNHK『Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2022』で見た姿はずいぶん痩せられていた。そう遠くないうちにこんな日が来るのだろうとは思っていたけれど、まさか高橋幸宏さんが亡くなった二ヶ月半後とは。そして、音楽家の逝去にこんなにも喪失感を抱くとは想像していなかった。
Twitter、Facebook、インスタグラムなどのSNSにはさまざまな人が追悼のコメントあげている。交流のあった著名人や影響を受けたミュージシャンだけではなく、一般の人々も「自分なりの坂本龍一」を語ったりもしている。
同時代のアイコン的存在が亡くなった時に人々が悲しむのは、自分が生きた時代を失う気がするからかもしれない。
スタジオで数曲ずつ収録したものをつなぎ合わせてライブのように配信&放送されたのが「Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2022」である。シンセサイザーだったりバンドだったりのために作った曲が、このピアノソロのためにアレンジされている。坂本さんは番組内のインタビューで「大変だったが楽しい作業だった」と語っていた。
映画『ラスト・エンペラー』のテーマ曲から始まり、2曲目は『東風(トンプウ)』だった。1978年に発売されたYMOのデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』のB面の1曲目だ。今となっては知らない人も少なくないだろうけれど、一枚のレコードには A面とB面があった。当時十四歳だった私はこのアルバムを擦り切れるほど聞き、大人になった気分になった。音楽が擦り切れるという感覚も、もう過去のものだろう。アルバムの中でも『東風』は大好きな曲で、『東風』からB面2曲目の『中国女』(高橋幸宏作曲)への流れは、メロディーに酔いしれるだけで行ったこともない中国が頭の中でイメージでき、自分なりのオリエンタリズムを構築できた。
タイトルは坂本さんが好きだったゴダールの映画からとったことは後から知った。当時、六本木のテレ朝通りにできた同じく『東風』というチャイニーズレストランがあり、最先端とされたファッションやマスコミ、広告関係者で賑わっていた。
YMOの『東風』は刹那的な刺激に満ちたダンサブルな曲だったが、テンポを落としたピアノソロのそれはまったく趣の違うものになっていた。おだやかで明日よりももっと先の長い長い時間を包み込むような、といったらいいだろうか。一つのメロディーに対して解釈の幅広さに感嘆し、同時に二つの『東風』の間に流れていった大量の時間を思った。
「特定の景色や感情を体験できる」坂本龍一の音楽
『東風』や『ラスト・エンペラー』はもちろん、坂本さんの描くオリエンタリズム、東洋的美意識が好きだ。それをテーマにした曲でなくても、どことなく東洋的な抑制を感じる。耳にすると、自分の内側に備わっている何かを発見した気持ちになる。