「ムツゴロウ」の愛称で親しまれた畑正憲さん(享年)が4月5日、心筋梗塞で亡くなった。作家として多くの著作を残し、自然保護活動に身を捧げた畑さん。1980年にスタートした『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』(フジテレビ系)は、最高視聴率が30%超を記録した。
テレビの影響は大きく、“動物愛護家”のイメージも定着したが、畑さんの本業は作家であり、研究者でもあった。
孫の津山風花さんがブログで「変態で天才」と表現したように、畑さんは記憶力や知識量が人並み優れ、大胆な行動力も併せ持つ文字通りの“鬼才”だった。
「学生時代は教科書を1時間読むだけで内容を記憶できたといい、ノートを取ったことは一度もなかったとか。8か国語を自在に操り、受験勉強をほとんどせず東京大学の理科II類に現役合格。動物学を専攻し、大学院ではアメーバの研究に携わったものの、途中で文学に目覚めて研究室を飛び出してしまったそうです」(畑さんの知人)
教育関係の会社でサラリーマンとして働く傍ら小説家を目指し、1967年にエッセイ集『われら動物みな兄弟』で作家デビュー。中学の同級生だった純子さんとは10年近い交際期間を経て23才のときに結婚した。
「麻雀にも熱中していた畑さんはフリー雀荘で給料の何倍もの額を稼ぎ、会社もあっさり辞めてしまいました。交際してから70年以上、ふたりはけんからしいけんかをしたことがなく、畑さんが無人島に住むと言い出したときも純子さんは『地の果てまでついていきます』と言ったそうです」(畑家の知人)
温厚な純子さんが過去に一度だけ怒ったことがあった。
「畑さんは32才のときにがんで胃を全摘出しているのですが、手術後、間もない時期に徹夜麻雀で1週間以上、家に帰らなかったんです。さすがに心配した純子さんは『てめえこの野郎!』と詰め寄ったとか」(前出・畑家の知人)
畑さんの著作は飛ぶように売れ、1日に7、8本の締切りを抱える売れっ子になった。 1986年に製作した映画『子猫物語』は興行収入98億円の大ヒットを記録し、畑さんも10億円以上を手にしたという。それでも、動物を育てるための支出は莫大で王国の経営は火の車だった。長年、畑さんを支えた動物王国の元スタッフ、石川利昭さんが言う。
「なにしろ人間も含めて、生き物の口が数百とありましたから、そのすべてにエサを放り込むムツさんの苦労は大変だったと思いますよ」(石川氏)