3月下旬──女性セブン記者は芽吹いたばかりの草木に彩られた春の鎌倉を訪れた。急坂を上り詰めると、そこには、昭和初期に建てられたという日本家屋が。出迎えてくれたのは、作家の甘糟幸子さんと、その娘で同じく作家のりり子さん。50年以上の月日をここで暮らし、季節の野草や地場産の食材を使った料理を探求しているおふたりに、食べること、生きること、そして受け継いだ想いについてうかがいました。【前後編の後編、前編から読む】
友人やお仕事の関係者を招いて、お料理を振る舞うことがあるというおふたり。お客さまへの料理は協力して作っているが、日々の食事はいま、りり子さんがひとりで担当している。
* * *
甘糟りり子さん(以下、りり子):私が日々の料理を担当するようになったのは、母の病気がきっかけです。もともと母は病気がちで、50代のときに慢性すい炎、60代で胆のうを取って、70代で肺がん、80代ですい臓がんを患ったんです。
甘糟幸子さん(以下、幸子):子供のときから乱暴なことをしていた割に、結構病気をしましたね(笑い)。
りり子:肺がんは消化器科の医師が見つけてくださって。すい臓がんは、毎月通っている日本料理店のコース料理が食べられなくなったので、慢性すい炎の担当医のところで検査をしたら、すぐに入院してくださいと言われて……。
〈手術は無事成功したが、その後2か月近く入院することになり、足腰の筋力が衰えてしまったという〉
りり子:退院後、母は自宅で転んで、右手を骨折したんです。それがきっかけで、私がひとりで料理を作るようになりました。
〈幸子さんがすい臓がんの手術をしてから、今年で5年目を迎える。ここまで回復したのも、りり子さんの作る日々の食事が関係しているのだろう〉
りり子:食生活は和食が中心になりました。おそば以外の麺類を食べられなくなったので、昔はよく作っていたパスタも作らなくなりましたね。
幸子:りりちゃんは、必ず野菜のお料理を3品か4品きちっと作ってくれるんです。それがとてもありがたい。しかも、おいしいのよね、なかなか。
りり子:だそうです(笑い)。
幸子:何しろこの人はね、野菜から食べなさいって言うの。
りり子:すい臓がんを経験したら糖尿病に気をつけなくてはならないから。血糖値を急激に上げたらいけないんです。
〈それで、野菜料理は必ず献立に入れているのだという〉