北海道・十勝の酪農家では、牛のいななきのなか、大きな流水音が響く。排水溝にとめどなく流されているのは白い液体。本来なら私たちの食卓に届くはずの新鮮でおいしい搾りたての生乳が大量に捨てられている。酪農家によっては毎日数トン、金額にして20万円ほどの生乳を廃棄しているという。搾乳をやめれば牛が病気になってしまうため、廃棄を続けざるをえないのだ。
飲用や調理に使うだけでなく、ヨーグルトやチーズ、スイーツなど乳製品の原料としても欠かせない牛乳。それがなぜこんなにも大量に捨てられているのか。北海道大学大学院農学研究院准教授で、生乳の流通などに詳しい清水池義治さんが解説する。
「大きく2つの要因があります。1つは、2008〜2015年のバター不足を受けた増産政策とコロナ禍による需要減少が運悪く重なったことです。当時、国は酪農家が行う投資に最大で半分を補助する大規模な事業を展開。生産量は2019年頃から急増しました。しかし直後にコロナ禍で外食・観光需要などの消費が減少、大幅な過剰になりました。
そんな中、ウクライナ紛争などで2つめの要因となる生産資材の高騰が発生しました。燃料や電気代もそうですが、特に飼料の値段の上昇が酪農家を直撃している。主に輸入に頼るとうもろこし、牧草の値段が高くなって生産コストが急上昇しているのです」
私たち消費者も、生産コストの高騰と、それに伴う物価高は最近、イヤというほど実感している。
「本来なら、生乳の価格を上げる交渉をするところですが、いま脱脂粉乳の在庫がだぶついていることが状況をさらに悪化させています。市場メカニズムの観点から言えば余っているものの価格は下がるのが普通。コスト高で生乳価格を上げたいものの、在庫過剰で充分な値上げができない。一方、値上げをしたら消費がさらに減るかもしれないという板挟みの状態です」(清水池さん・以下同)
通常なら、生乳の供給が過剰になった場合、保存がきく脱脂粉乳やバターなどに加工して調整する。現在、その脱脂粉乳の在庫が過去最高を記録しており、北海道では昨年度、16年ぶりに生乳の生産抑制が決まった。さらに農林水産省はこの3月から乳牛を殺処分すると1頭あたり15万円を交付している。
牛は子牛を産んで初めて乳を出すようになり、生まれたオスの子牛を肉牛として売却することも酪農家の経営を支えていたが、飼料の高騰により子牛価格が暴落。熊本県畜産農業協同組合によると、昨年12月のある日のセリでの値段は、子牛のオスが1頭あたり平均4万5000円ほどで、半年前の10万円に比べて半分ほどになったという。1頭1000円という嘘のような値段がつくことも珍しくなくなったといい、これは従来の100分の1だ。
生乳を出荷し、生まれた子牛を売ることで成り立っている酪農家の経営は、当然ながら苦しいものになる。多くの酪農家が「赤字」「離農」といった悲惨な状況になっているのにもうなずける。