ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平(28)は、今や野球界の「生きるレジェンド」と呼ばれているが、少年時代は決して図抜けた選手ではなかったという。
大谷の2学年上で幼稚園の頃から一緒に遊び、水沢リトル、一関シニア、花巻東高でバッテリーを組んだ佐々木大樹氏(30)が回顧する。
「翔平は小学校低学年の時、年上の僕にバドミントンで負けると『もう1回』と何度も言ってくるほど負けず嫌いでした。ただ野球に関しては、リトルやシニアの頃の岩手には翔平よりも優れた選手は何人もいました」
大谷が頭角を現わし始めたのは、中学3年生の時だった。当時、花巻東の新チームのキャプテンとなった佐々木氏は、すでに身長が190cm近かった大谷の能力を見込んで、同校に勧誘した。これに大谷は応えた。
「まだ体は細かったものの、入学したての翔平は最速147キロのストレートを投げ込んできた。“こいつはプロになれる”と確信しました。僕は現ブルージェイズの菊池雄星さん(31)が花巻東の3年生だった時に1学年下でバッテリーを組みましたが、翔平は1年生なのに、3年生の頃の雄星さんに匹敵するような球を投げていた」(佐々木氏)
佐々木氏は花巻東を卒業後、進学した東海大学で3学年上にいた現巨人の菅野智之(33)とバッテリーを組んだ。
「翔平、雄星さん、菅野さんの3人は僕が球を受けた投手のなかでもずば抜けています。3人に共通するのは、トレーニングや練習を自分で考えて行なっていたこと。翔平はオフの時は普通の高校生でしたが、当時から将来を意識した食事を続けていて、ご飯を丼ぶり10杯食べていました。1年生の頃から『メジャーに行きたい』と語っていたのを覚えています」(同前)
佐々木氏は今も現役を続け、社会人の日本製鉄室蘭シャークスでキャッチャーとしてプレーしている。
※週刊ポスト2023年4月28日号