ロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷翔平(28)の才能には、数多くの選手を育てたコーチたちも圧倒されてきた。
「彼は野球センスの塊ですよ。190cmを超える長身ながら全体のバランスがよく、そして柔軟で器用でした」
そう語るのは、大谷がデビューした2013年に日ハムの外野守備走塁コーチを務めた大塚光二氏(55)だ。1年目のキャンプで見た時から、大谷は走攻守の三拍子が揃っていたと話す。
「打者や投手としての能力が注目されますが、走塁技術も超一流でした。特に塁上で打球を判断する能力は教えてもなかなか身につきませんが、彼は言わなくてもできた」
昨年まで東北福祉大学野球部監督を務めていた大塚氏がルーキーの大谷に唯一、指導したのは「帰塁」のやり方だった。
「大谷は足に自信があるからリードが大きくなり、牽制されて頭から帰るシーンが何度かありました。しかし当時、栗山英樹監督からは『投手もやるからケガだけはさせるなよ』と言われていたため、大谷には、『牽制されたら、相手投手のほうから右手を隠すかたちで足から帰れ』と口うるさく伝えて、何度も練習させました。それ以外には何も教えることがなく、放っておいても自分でメニューや課題をこなせる選手でしたね」(大塚氏)
2014~2015年に日ハムの打撃コーチを務め、現在は解説者の柏原純一氏(70)も大谷に衝撃を受けた1人だ。
「コーチとして見た選手のなかでナンバーワン。ある春のキャンプ中、二刀流のため多くて3日に1回しか打撃練習ができない大谷が特打に参加したことがあったんですが、『やっと来たな』と言って打席に立たせて、最後に『ラスト!』と声をかけたら、『バックスクリーンを越します』と宣言した。それで来た球をポンとはじき返してバックスクリーンを簡単に越したんです」(柏原氏)
こんな逸話もある。遠征先の福岡で投手陣が裏方を集めて慰労会を開いた際、大谷は一次会だけ参加し、ほとんどの選手が参加する二次会に行かなかった。
「その後、日付が変わる頃に戻ってきた1人の選手が、宿舎近くのウエイトトレーニングのジムからトレーナーと出てくる大谷を見たそうです。当時20歳そこそこで普通は遊びたい盛りのはずが、彼にとってはそれが当然のことだったのでしょう」(同前)
本拠地ではもちろんのこと遠征先でも契約できるジムを探し出し、早朝からウエイトに励んでいたという。その姿を知る柏原氏が最後にこう語る。
「一般の人にとっては意識が高いように見えることでも大谷にとってはそれが当たり前。努力でも何でもなく、普通にこなしているんです。現在も、その姿勢は変わっていないはずです」
稀有な才能と努力する心を併せ持つ大谷の進化は、これからも止まることはないだろう。
※週刊ポスト2023年4月28日号