人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、ローマ繁栄とともに流行したマラリアについてお届けする。
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マラリアはしばしば沼沢地の付近で流行が起こりました。
唾液腺にマラリア原虫をもつハマダラカに刺されることで、人はマラリアを発症し、悪寒、発熱を繰り返したのです。その経験からか、まだ蚊が媒介するという感染経路がわかっていなかった頃にマラリアには「沼地の幽霊」という別名がありました。
地中海の制海権を独占したローマ帝国は1世紀後半から2世紀には最盛期を迎え、ヨーロッパからアフリカ北部や中東にまで領土を広げます。そして、首都ローマから放射線状に「ローマ道」を造り、各地の都市を整備しました。こうして通商も盛んになり富が集中したローマに、労働力としてアフリカや中東などの属州から多くの奴隷が連れて来られました。
マラリアはもともとイタリア半島などに存在する風土病でしたが、皮肉にもローマの繁栄と共にローマ道で帝国内へ拡大しました。
しかし、マラリアは蚊が媒介する感染症なので、感染者がやってきただけでは流行にはなりません。蚊の幼虫のボウフラが増えやすい環境が必要になります。
マラリアの流行に拍車をかけたもう一つの要因は森林伐採でした。ローマ帝国の繁栄と共に生活物資の生産や軍事力の強化のために鉄や鉛が必要となります。すると、それら鉱物を溶かすために燃料となる樹木を大量に伐採しなくてはなりません。こうして森林伐採のあとに多くの水溜まりができ、ボウフラが大量発生してマラリアが広まることになったのです。
さらに愚鈍な皇帝が即位して国力が衰え始めると、河川や沿岸の整備が行き届かずに荒廃していき、ここでもマラリアが発生しました。そして、市民だけではなく、ローマの兵士の中でマラリアが蔓延していくと兵力は衰え、帝国の分裂や滅亡への一因に繋がっていきました。
一方、紀元前後のローマ医学は、アジアやエジプト・アレクサンドリアに発展したギリシャ医学の知識も集積して発展していました。紀元前75年頃に博物学者のマルクス・テレンティウス・ウァロは著書の中で「マラリアなどの伝染病の原因は小動物ではないのか」と指摘しています。また、紀元130年頃に生まれたクラウディウス・ガレノスは、古代医学の頂点を極めた人物です。