「誰もが自由に気楽に飲める店だよ」(60代)と地元客らの陽気な笑い声が響く『水戸屋』。
地下鉄東西線・南砂町駅から徒歩20分、昭和の気配漂う末広通り商店街の一角で2代目店主の山本隆幸さん(65歳)が角打ちを盛り立てる。
「口は悪いが人情味に溢れている」(60代)と評判の店主を慕って訪れる客は、お互いを愛称で呼び合い、中には外国人の客も混じって、皆、親しげに語り合っている。
「店の隣に住んでいるので生まれたときから我が家同然。どんなに酔っぱらっても帰れるのが自慢だよ。子供の頃からよく知っているんだけど、店主はスキーもピアノも上手いんだよ。砂町が生んだ奇才、変人ともいうね(笑い)。俺はギター担当で、店内でセッションしたこともあるよ」(60代、元自動車関係)
「いつも全身黒い服を着ているから“魔女”、長い髭で着物姿だから“仙人”とか、この店の常連さんたちは、互いをあだ名で呼び合っている。年齢も職業もバラバラなのに不思議と気が合う仲間ばかり。
昭和の時代にテレビで見た“角打ち”というのに一度は行ってみたいと思っていたら偶然近所にあった。これって奇跡ですよね」(30代、音楽家)
店主は、店への想いをこう語る。
「ここ(末広通り商店街)は、昭和の時代は町工場や商店が犇(ひし)めいていてね、砂町界隈じゃ砂町銀座商店街に次ぐ活気ある商店街だったんだよ。
親父がここで酒屋を始めて、私は学生時代から家業を手伝ってきました。昭和の時代は工場で働く人たちがひっきりなしに飲みに来ていましたね。
平成15年に父が亡くなって私が2代目を継ぎ、母(礼子さん、享年82歳)と共に角打ちを続けてたんです。
母は3年前に他界しましたが、お客さんとの信頼関係が厚くてね、代金を払えない人がいると『給料が出たときでいいよ』なんて、昔はそんなやりとりもあったね。この仕事が生きがいだったのか、入院する前日まで店に立っていましたよ。今でも母を慕って通ってくださるお客さんは多いですよ。
昔と今じゃ客層も商店街の風景も変わったけど、いつの時代も縁あってここで出会って仲間の輪が広がっていくのはいいよね。商店街の酒屋が、人と人を繫ぐプラットフォーム(舞台)になれれば嬉しいよね」
「お母さん(礼子さん)は“もう一杯だけ”って粘る客には『ハイ、これでおしまい!』ってキッパリという気風のいい人だったよ。入院する数日前に『サラバじゃ!』って、それが最後の言葉になっちゃったんだけど、格好いい女性でした。今でもお母さんに厳選された気のいい常連さんが多いから、皆、好き勝手やっているけど、安心して飲めるんだよね」(60代)
「昔は、角打ちスペースは壁で仕切られていて、勤務明けの常連客が肩を寄せ合って飲んでいましたよ。客の中には職人気質の強面の輩も多かったから、最初は緊張したよね。
何度か通っているうちに、お母さんがこっちで飲んだらって酒屋のスペースに招いてくれて、なんだか出世した気分で嬉しかったなぁ」(70代)
「先代の出身が水戸だけに、マスター(店主)は『水戸黄門』が好きなの。夕方の放送時間になると店の奥に引っ込んでテレビ見ている日もあるからね。
俺たち客は夕方ふらっと来て、冷蔵庫から酒を自分で取ってきて、乾き物をつまみにのんびり飲む。この気ままなスタイルが気に入っているよ」(60代)